【 ひとりごと。#108 】それが僕が想う地域教育であり、その地域教育が目指す姿です。


Ver.1.0.2



– COBAKEN のひとりごと。-


何年前のことだったのか、はっきりとは覚えていませんが、地元竹原で家業の建築の仕事をし、まちづくりの活動などにも励んでいた頃、失われてはいけないもの、失われたけど忘れてはいけないこと、それを学べる場所をつくりたいと思うようになりました。

そのことをまわりの人に話せば話すほど、「 寺子屋のことだね。」と言われた頃があって。それから寺子屋を調べながら活動をしていると、家庭教育、地域教育、学校教育という3つの言葉に出逢いました。





僕がこの先、生きている限り行っていくことは、本人が望めば、本当にやりたいことをやれる環境をつくることです。もう少し正確に表現すると、環境を新たに創るのではなく、すでに存在する人と人とが認め合う関係性を広げていくこと、です。それが、僕が考える地域教育でもあります。

その関係性がどういうものなのかを簡単に言えば、「 私も我慢しているのだから、あなたも我慢して 」という関係性ではなく、「 あなたがやりたいことを応援するよ 」と心から言い合えるような関係性です。そんな関係性を日本に広がることを目指しています。

それは、僕がずっと胸に抱き目指してきた、心から笑える世界に向かうためのもので、今の自分が生涯をかけてやり遂げたいことなのです。今のところは、の表現ではありますが。それぞれが本当にやりたいことをやるというプロセスと結果を体験し、それぞれがそんな体験を積み重ねることで、自分が何者なのかを自然と、しかも愉しみながら見出していける、そんな環境につながっていくのだと考えています。


ちなみに僕が認識する皆とは、これまで僕が出逢い接してきた人たち、そしてこれから出逢い接する人たちで、学校やコミュニティが同じであったり、話をしたりして関わりのある人たちのことです。残念ながら、この地球上に存在するすべての人、とは今の自分の器では言うことはできません。

でもきっと、それでいいのです。行動を続けることで自然と、同じ想いを持った人たちが集うものです。そうやって集い続けていけば、その人にとっての皆が重なって、いつの日にかこの地球すべてを覆うことになります。ものすごく楽観的な希望的観測ですが、このことに関して根拠のない確信があります。

だから、自分にとっての、自分が大切に想う人たちを皆と認識して、それぞれが必要な場面で力を合わせ、時には個々に目の前の大切な人たちと自分自身のために行動すればいいのだと思います。





それに向けてまずは、対話の文化の礎を築いていくことが必要だと考えています。その理由は、自分で自分を整える手段を持つこと、対極の存在を認める習慣を得ること、物事の本質に目を向ける習慣を持つことなど、様々です。


今はもう、対話の時代です。それなので、対話を活用する状況に勝手に世界が向かうと思いますが、時代が切り替わって間もない今はまだ、議論や討論といった絞るためのコミュニケーションしか知らない人が多く、選択肢のなさでたくさんの問題が起きているように思います。

そこに、対話することをコミュニケーションの手法として加えてもらい、議論と対話を目的に応じて使い分けることができる人を増やしてきます。そうすることで日常のコミュニケーションのベースが対話になるでしょう。毎日の中でいちいち、何かを決める必要はありませんので。何かを決める必要がある時に議論をする、そんな使い分けができるだけで世界は大きく変わっていくでしょう。


ちなみに、対話の時代だからといって、対話だけを使うことにはなりません。必要に応じて対話を使い、必要に応じて議論を使う必要があります。その理由は、目的の違いです。

議論の目的は一つにまとめることであり、何かを決めることで、人と人とが関係しながら生きていく中で、物事を決める機会は今後も続いて生まれてきます。僕たちは選択することを常に続けているので。一方、対話の目的は探求することであり、発見することで、話をする相手との違いや共通点から気づき、掘り下げていくのですが、それはアイデアを生み、選択肢を増やしたりして行動を促すために今後も必要です。

それなので、絞るための議論と、広げるための対話は、コミュニケーション手法において対極で、その対極が同居した時代が対話の時代です。白もあれば黒もあり、その間には無限の色が広がる中で何を選ぶのか、それが対話の時代において常に求められる、人間本来の選択するという行為です。


それに、日常に対話を取り入れるで、今この瞬間を生きられる人が増えていきます。それには、自分自身の過去と未来に対する記憶や想いが深く関係していて、過去への後悔や執着を手放して、未来への不安と仲良くすること、そうする必要があります。それを今は愉しみながら行う時代になりました。

ただ難しいのは、とにかく楽しければいい訳ではないこと。嬉しい、楽しいの対極にある、苦しみや哀しみにもきちんと目を向けた上で、自分の内側から愉しめるかどうか、歓べるかどうか、それが重要なので。目をそらしていると、本当の力が発揮できない時代でもあります。

実際、これが対話の時代の世界観です。物事の対極を受け容れ、その中心にある実相に目を向けること。それができるとその実相の対極が見えてきて、その実相が見えてきます。その繰り返しで世界が広がっていきます。

今この瞬間を生きられる自分に向かうためにまず必要なのは、自分との関係性を改善すること。そしてその、自分との関係性を改善していくために必要なのは、あなたにとって身近な、あなたを投影してくれる存在です。

それは、パートナーだったり、親御さんだったり、お子さんだったり、そんな身近な人との関係性をより良くすることが、自分自身との関係性を良くすることに深く関係しています。対話が日常的に用いられることで、人は自然と、しかも愉しみながら自分と向き合い、今に集中できる人の割合が増えていきます。


僕の勝手な妄想ですが、そんなことを考え、行動し、日々対話を続けています。





ここで改めて、最初にお伝えした、本当にやりたいことをやれる関係性、に話を戻します。

「 私も我慢しているのだから、あなたも我慢して 」という関係性ではなく、「 あなたがやりたいことを応援するよ 」と心から言えるような関係性を日本に広がることを目指しています。つくる、でも、広げる、でもなく、広がる、です。

なぜ、広がる、という表現を使うのかというと、僕が今こうして、旅する暮らしを続けられていることで、その関係性はゼロではなく、すでに存在しているからです。だからその関係性を広げると表現しています。

自分の思いを最優先すること、それが今の時代に大切なことだと僕は考えています。そう言うと、わがままでいいのか?と訊かれることがありますが、厳密に言えば、わがままと、自分の想いを最優先することは違います。

わがままは、自分のズレた欲求を満たすための行動です。それなので、その欲求を満たしてもらうために、もしくはその欲求を刺激して自分を否定するために、誰かを巻き込む必要があります。例えば、わかってほしい人には、わかってくれる誰かか、わかってくれない誰かが必要です。

本当の意味で自分の想いを最優先できる人は、自分の想いにまっすぐ触れることができている状態です。自分を大切にしながら心に従って選択し、例え一人であっても自分に正直に行動していきます。そうなれば、自分の映し鏡である、身近で大切な人たちを大切にすることができます。




人はまず、一人です。一人で生まれ、一人でこの世を去ります。そこまでの道の中で、自分で選び行動すること、それを常に求められながら生きていきます。そんな僕らはとても弱い存在で、不完全で、だからこそ寄り合って生きています。その結果、今のような社会システムを作り上げ、今日まで続いてきたのですが、人が生きることよりも、そのシステムを維持することに目的がすり替わってしましました。

でも人は、とても強くて、完全な存在でもあります。そんな僕らが根本に立ち戻り、それをまた見直す時が来ました。そのために、個人が自分のことを知る必要があります。自分を知り、自分を表現し、また自分を知り、自分を表現して。

自分は、どんなことで幸せを感じるのか。

自分は、どんなことを心から嬉しいと思うのか。

自分は、どんなことを大切にしながら生きているのか。

これらは頭で考えるだけで知れることではなく、自分がやりたいことをやることで知れることです。体験したことで自分を知り、自分を知ることでまた望む体験を選ぶ、その繰り返しです。そして、本当にやりたいこと、心から望むものに近づいていく、そんな道を僕らは生きています。





そんな僕ら人間は、人間にだけ与えられた人間脳によって、今日の科学の進歩を築きました。理解できていること、判明していることが科学だとして、理解できていないこと、判明していないことを哲学として、僕らは改めて、科学と哲学のバランスを整えるタイミングがやってきたのだと思います。

そう、理解できていない、判明していない、目に見えないものも大切にするタイミングがやってきています。目に見えるものも大切にするし、目に見えないものも大切にする。どちらか一方ではなく、要はバランスです。今は思いっきり、目に見えるものに意識が傾いています。だから今必要なのは、目に見えないものに触れる機会。自分がやりたいことをやって、愉しみながら自分の心、自分の素に触れる機会。

科学が進歩する前頃の、人が大切にしてきた感覚を、この時代にもう1度体験を重ねた状態で取り戻しましょう。そのための対話の時代なのだと思います。対極を同居させること、それがこの時代の特徴なので。


そんな時代だからこそ、心の根っこの部分を大切にした学びが必要です。日常からまわりの人と対話しながら過ごし、普段から自分の心に触れる機会を持ち、必要な手段を学んで自分らしく実践していくことです。それが幼い頃からこの世を去る頃まで続くような、そんな環境を整えることです。

ただし、それはただのシステムではありません。人と人との関係性の中にそれをつくり、システムに手助けしてもらう、そういったものです。


そんな環境の中で、心根の部分を学ぶ機会と生きていくための手段を学ぶ機会と、それらをバランスよく得られるように。その中で見つけた、自分がやりたい、と思うことに挑戦できるように。そんな毎日を繰り返すことで、本当にやりたいことに出逢い、それを行えるように。


そういった意味での、本人が望めば、本当にやりたいことをやれる環境をつくること、です。




それが僕が想う地域教育であり、その地域教育が目指す姿です。懐を大きく、可能性を信頼して、僕らの今を、次の世代、また次の世代へとつなげていきましょう。




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