– いま、ここにあるもの。ここにある想い。-

2022/12/26 OSAKA / OSAKA / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi
– 思い込みを手放す日々 –
すでに四ヶ月前になってしまいましたが、今年も無事に立春を迎え、この十二年の収穫の季節が終わりを迎えました。そしてまた、新たな十二年が始まりました。ありがたさや情けなさなど、色んな感情が入り混じりながらも、とても穏やかにその日を迎えることができました。だからと言って、魔法のように何かが変わったわけではありません。それでも穏やかに緩やかに、気持ちの変化を感じています。
[ 参考ページ ] 春夏秋冬 季節判定
※ 僕が、収穫や種蒔きの季節など、自分の状態を考える参考にしているものです。
どんなに世が変わり、流れが加速しようとも、自分が動くことで結果が生まれることに違いはないのですね。ちなみに、ここでいう動くとは、心の働きによって生まれる素朴な動きのことです。頭で考えた、結果に向けての行動ではなく。何かに心を動かされ、実際に手を動かしたり、足を運んだり。そうやって、この世の均衡を破ります。その結果、再び均衡を保つために世界が動いてゆくという、一連の流れです。
この十二年をふり返ると、僕は旅する暮らしを通じて、思い込みや後悔、執着などを手放し、自分との仲直りをしてきたのだなと思えました。完全に仲直りできたとは思えてはいませんが、自分を責めることは少なくなりました。そしてこの先も、自分との仲直りを続けていきます。大切な自分なので。そんな自分と、気の置けない誰かとで、一人では辿り着けないその先の景色を眺める機会を、増やしていきます。
すでにあったのだなと、今となっては思うのです。無い、無い、と外側ばかりに目を向けて、内側や足元にあった喜びや温もりには目もくれずに。自分で人生を拗らせてから、旅する暮らしを始めました。けれども、無駄にも思えるその過程もまた、僕にとってはとても重要な人生の過程です。遠くを旅して戻ってきました。何でもないことに幸せを感じられる今は、どこに行っても大丈夫なのでしょう。
それと、2025年は世の流れや価値観も、更に大きく変わるのだなと朧げに感じています。例えば、誰かの正義の反対にあるのもまた誰かの正義で、正義と悪の構図ではなくなりました。元々そうではあったのですが。今は、作り出された正義の裏の、ドス黒いものがバレる機会が増えましたし。ただ、それもまた誰かの正義です。今はもう、正しいかどうかで物事を計るのは簡単ではなくなりました。
2015年頃からそんな兆しがじわじわと現れてきたと、ふり返ると思えます。それはまだ数年続くのでしょう。この先がどうなっていくのかを、自分で具体的に予想することはできないので、自分がどう在りたいのかを大切にしていけたら、と思っています。加えて、納得できることや、心が躍ることを選びながら。心穏やかに、丁寧に。自分に素直に、正直に。ある意味、とてもシンプルだなと思えます。

2024/03/21 on the ship / yawatahama to beppu / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi
– 僕は旅が得意ではないから –
立春を迎える前くらいから、この十二年をふり返る機会が増えました。十二年間、4,380 日の月日の中でありがたいことに、たくさんのご縁や出来事をいただき、無事に今日まで生きることができています。もちろん、良いと思えることだけでなく、辛く哀しいこともたくさんありました。けれども、それらの全てが今の自分を形成してくれていると思うと、とてもありがたいなと思えます。
そんな日々の中で学んだ大切なことをふり返っていると、たくさんあり過ぎたので、ひとまず箇条書きにしておきます。短く書いていくので、何のことやらよくわからないものも多いかもしれませんが。もし、興味があるものがあれば、出逢った時などに訊いてください。いくらでも答えます。よかったら、それをお題にして一緒に対話しましょう。対話で深まれば、ブログにも投稿できるでしょうし。
・助け、助けられる世界へ。この世界は相互依存で成り立っている。
・まずは、あるものに目を向けること。そして、目の前の世界を自分ごとに。
・自利利他。自他不二。
・この世は鏡。
・人は、違いに触れることで自分を知る。
・知るとわかるは違う。
・知らない自分を知るために、知らない世界を眺める。
・すべて自分で選んでいる。
・自分が動き回りたいエリアの、ひとつ大きな括りの中に身を置く。
・旅は、同じ場所でもできるもの。ただ、環境を変えた方が旅しやすくはある。だから人は、旅に行く。
・出来事は起こるべき時に起き、人は出逢うべき時に出逢う。しかも、一瞬早からず、一瞬遅からず、最適なタイミングで。
・タイミングを信頼すること。全ては必然。
・終わりがあることの大切さ。始まりは終わり、終わりは始まり。
・人は人を理解し切ることは出来ない。それを理解した上で、それでも相手をわかろうとすること。
・結局、自分は何も知らない。知っていることなんて、この世のほんのひと握り。
・お金も物も、エネルギーをのせて世界を巡っている。
・対話は、同じ場所に居ながらできる旅。
・今の自分にとって旅とは、百回、千回通った道でも違いに気づけること。
・時は、未来から今に向かって流れている。
・正しさや良し悪しの基準は三種類。私の、あなた ( たち ) の、私たちの。
・他人と過去は変えられない。けれども、自分が変われば、他人も過去も違って見えてくる。
・対話の場の三部構成。問いづくり、混沌づくり ( 拡散 )、ふり返り。
・誰かの役に立ち、喜んでもらうことで対価を受け取る。歓びに触れられると尚良い。それが、稼ぐことの核となるもの。
・自分にとって一番の仕事は、自分を生きること。そのために暮らし、暮らすために糧を得る。
・迷った時は、目的を確認する。
・やりたいことがわからない時は、やりたくないことを書き出す。
・夢に描いていることは、未来の自分にとっては思い出となっていること。
・旅は、人生の終わりを迎える練習でもある。
・心で受け取り、頭で整え、肚から生み出す。
・挑戦とは、やったことがないことを体験したり、得意ではないことが出来るようになるための取り組み。
・この世には、すべての存在の均衡を保とうとする働きがある。
・本当に探しているものは、すぐ側にある可能性が高い。けれども、探すという過程が必要なことが多いため、遠くを探してしまう傾向にある。
ひとまず、こんなところにしておきます。更に何か思い浮かんだら、その都度追加していきます。
この中でも特に印象に残っているのは、僕は旅が得意ではないから、旅する暮らしを続ける必要があったと気づいたことです。旅が得意な人は、同じ場所に居ても旅をすることができます。僕は同じ場所に居ると、毎日が同じだと錯覚し、状況に流されてしまい、自分を知ろうとしませんでした。たぶん、それだと困る未来があったのでしょう。だから僕は、旅する暮らしに挑戦することになったのだと思うのです。
そんな旅する日々を褒めてもらえたり、認めてもらえた時は、とても嬉しかったです。逆に、馬鹿にされたり否定されたら、とても悔しかったです。けれどもそれよりも、理解してもらえたら、もしくは、理解しようとしてもらえたら、とてもとても嬉しくて。だからこそ、相手が本当に大切にしていることに目を向けられる、そんなファシリテーターで在りたいと思います。

2021/07/25 BEPPU / OITA / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi
– 35歳の主人公の、旅の物語 –
この先は、「 35歳の主人公が、自身の想いや可能性を解き放つための、旅の物語 」を主題に、旅や対話の場を創っていけたらと思っています。それは具体的にはどういうものなのかと訊かれても、自分でもよくわかっていません。この先の矢印として、自分の活動の鍵として、僕の中にある言葉です。LABO の「 自分らしく、しあわせに生きること 」に向けての、手段を考える基になるのではないかなと。
ひとつ思い浮かぶとすれば、35歳は僕自身が旅する暮らしを始めた年齢だということです。もちろん、35歳に限らず、10代でも70代でも構わないけれど、自分を生きることを選んだ人の手助けができれば嬉しいですし、僕自身も改めて、自分の想いや可能性を解き放っていきたいです。旅するファシリテーターとしてこの先も、目の前の人の人生をほんの少しでも促すことができればいいなと思います。
それと、これまで自分が体験してきたことを、知恵として自分の中に錬成して、それを必要としている人たちに伝えることができるといいなと思います。近年のAIの活躍や科学の進歩を見ていると、数年前に言われていた淘汰されるものたちを実感させられるのです。その分この先、人とは何なのかと強く問われることになるのでしょうね。そんな時に向けての、自分が自分であるための要素の一つとしても。
そこに、建築や写真が絡んでいけると嬉しいです。建築も写真も、自分が力を注ぎたいことは何なのか、朧げには見えてきました。けれどもまだまだ模索中で、具体的に何を行っていくのかを確信できてはいません。何にせよ、小さな一歩を積み重ねていくだけです。興味深い現場があれば、手伝わせてもらいたいです。そのためにも、同じ価値観を持った人たちとのご縁を広げていく必要はあるのでしょう。
あと、この先の世界で益々、新しいものが生まれてくることもありがたいのですが、自分としては古い建物や道具を大切にしたい想いが強いです。もし自分が、新しい物を創り出すことに携わるとしても、古いものとも融合しつつ、次やその次の世代にも遺せるような物を創れるといいな。そのためにも、物から人の念を浄化する術を得たいと思っています。もしくは、そのための儀式を。
加えて、人のチャクラを整える術も得られるといいなと思っています。現状でも、手をかざしたり、触れることである程度の効果があるようなのですが。けれども、ただ対話するのとは比べものにならない程の干渉が起きるので、そうなった時に自分を整えきる自信がありません。その部分も含めて、自分の内側や目に見えないものとの関わりを深めていきたいです。
そんなことを積み重ねながら、僕が目指したい世界は、きちんと話が聴ける大人がたくさんいる世界です。最低でも、全体の二割は居る世界を。そのために、きちんと話が聴ける人を増やすことを、願わくば意図的ではなく、僕自身もより人の話を聴けるように経験を重ねていたら結果的にそうなった、という過程で。できれば一緒に、きちんと問いかけることができる大人も増えるといいな。
要点としては、相手の想いに沿うことができているかどうか、だと考えています。自分の想いや正しさは自分のために使い、聴き手は相手に沿うのです。判断は保留して、相手の想いに沿いながら話を聴き、相手の想いに沿いながら問いかける。それができるようになるための、心の余裕と時間の余裕をどう作っていくのか。そのためにもまずは、対話を日常に取り入れることだと思っています。
そんな未来を、僕をこの世の一つの存在として無条件に承認してくれる人たちと、更に言えば、解像度高く他者を理解しようとする人たちと、共に過ごしていけたら嬉しいです。正しさを押し付けてくる人とは極力、今は距離を置きつつ。すでに時代は変わったのです。時の流れに争うことはやめて、変化していくことを可能な限り肯んじて。大切なことを大切にし続けるためにも。愛と、調和と、信頼をもって。
これで先の十二年のふり返りと終えたいと思います。さすがに時間はかかってしまいましたが、次の収穫の季節に向けての、よき種となるのでしょう。考えてみれば、次の十二年を終える頃の僕は、還暦を迎えています。何歳までの人生かはわかりませんが、折り返しはすでに越えたのです。きっとこの感覚が、この先の日々をより愉しく、充実したものにしてくれるのでしょう。そう考えると、心が躍りますね。
おわり
” 「 いま、ここにあるもの 」では、小林豊の独り言をつらつらと書き記しています。この投稿をする1番の理由は自分自身が思い出す為なのですが、それが巡り巡ってたまたま、この独り言を必要としていた人の元に届くのも嬉しいなとも思います。そんな小さな奇跡を信頼しつつ、自分の内側にある想いを言葉にしています。”
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No.5 – 座敷童子のように生きること。| いま、ここにあるもの #142
これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO

1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile