– 旅先からの、友への便り。-
– 可能性と再会しました –
立秋 二〇二五年八月七日〜八月二十二日
残暑お見舞い申し上げます
変わらず元気にしていますか?僕はそのまま、盛岡で過ごしています。立秋を迎える前に念願の雨が降ったことで、農家の友人たちの喜ぶ顔を思い浮かべました。三週間も、気温が高いうえに雨が降っていなかったようですね。陽の光も雨も、共に僕らに必要なものだと再確認です。そして立秋を迎える前夜には、外から秋の虫の鳴き声が聞こえてきました。きちんと、自然界は秋へと向かっているようです。
雨が降ったのを境に気温も下がりました。昨日今日と晴れたことで、最高気温は上がりましたが。それでも日陰は涼しくなり、虫の鳴き声以外にも少しずつ秋を見つけることができています。けれども近年の秋は、これまで自分が体験し、認識してきた秋とは違っています。自分が想う秋を本格的に感じられる期間は一瞬で、あっという間に冬へと移ろう印象です。今年の秋はどうなるのやら。
変わり続けることは、この世界の変わらないことのひとつですが、気候の変化は僕らの社会が生み出したものの弊害なのか、地軸のズレが原因なのか、もしくは人為的なものなのか。何にせよ、取り戻せるものだといいな。自分らの生きる今のためにも、自分らがこの世を去った後の時代を生きる人たちのためにも、自然とより仲良く生きていける社会を心から望みます。
*
そういえば先日、対話をしていた中での気づきなのですが、自分でも認識できていなかった自分への期待があったことがわかりました。きっかけは、ここ数ヶ月でよく口にした、情けないという言葉です。四月下旬に盛岡に戻ってから、三男や妻に対して情けないと使う機会が何度かありまして。その分だけ、いやそれ以上に、自分自身を情けなく思ってきました。身内は特に、強く自分を映し出してくれます。
辞書で意味を調べたら、見るに忍びない、嘆かわしい、期待外れで残念だ、などとありまして。その出来事や自分自身に対しての想いをふり返っていると、まだまだ期待していたのだな、と思えました。年を重ねれば重ねるほど、自分が凡人であることがよくわかります。それでもどこか、自分への期待が残っていたということなのでしょう。ちなみに、それが良くないとは思いません。むしろ、可能性を感じます。
そのおかげで久しぶりに、好きな漫画の1シーンが思い浮かびました。仕事や恋愛でうまくいかなかった娘と母親との会話です。「 お母さん、ごめんね。期待に応えられなくて。」そう娘が言うと、「 別に期待なんかしていないよ。」と返されて娘が落ち込みかけた時、「 でも、信頼はしてるよ。」と母が告げました。期待もまた嬉しいものだけれど、自分は信頼がいいな、と思うようになったきっかけの一つです。
*
例えば、起きてもいないことにビビってしまい、毎朝行動できなくなる三男に、自分自身を重ねていたのだと思います。もっとできるはずだと。そして、期待外れだとガッカリして。自分自身に対してであれば、まだ話はわかるのですが、親が勝手に期待して子の行動を決めつけて、それに至らなければ勝手に嘆いて。よくあることですが、なかなか理不尽な話です。ただ期を待つ期待であれば、よいのですが。
そうやって勝手に決めつけて期待して可否を判断するよりは、無条件に信頼してすべての結果を受け容れる方がいいなと思うのです。相手や自分の想いに沿って話を聴き、必要であれば問いかけながら見守って。一年ほど前に改めて強く思ったのに、自分でも気がつかないところで期待をしていました。しかも、間接的に自分を責めることに使っていて。おかげでまたひとつ、自分を知ることができました。
こうやってまた、知らない自分を知ることができると、旅ができているなぁと思います。特にこの十二年はこんな風に、自分を知ることを積み重ねてきたので。それが年々、気づきの間隔が開いてきました。それはきっと、段々と深いところに触れることが出来ているのだと思うことにしています。より自分の深いところへ。本来の自分と再会するために。そして、今世における本当の自分に向かって。
*
話は変わりますが、今年も三人で盛岡さんさ踊りに行くことが出来ました。もちろん、県外から来られた方もいるのでしょうけれど、盛岡にこんなにも人が居たのかと、今年も思ってしまいました。その途中、カメラの調子が悪く、迂闊にもレンズをオートからマニュアルに変えて、戻すのを忘れてしまいまして。その後に撮った写真はすべてピンぼけで、さよならすることになりました。
そして翌週、盛岡花火の祭典にも行きました。昨年は車で走りながら眺めたのですが、今年は妻のイベント出店から戻り、晩ごはんを食べてから家を出て、都度スーパーで飲み物を買い、花火の見えるところまで歩いて行きました。これまた、こんなにも人が居たのかと思えるほどに、人が歩いて向かっていて。みんな花火や祭りが好きなのですね。久しぶりにこんな夏を味わっている気がします。
学生時代はよく祭りに行っていたのですが、いつからか人混みが苦手になり、祭りやイベントごとは避けるようになりました。人に触れるほどの状況だと、干渉してしまう感覚があり、激しく疲れてしまうのです。けれども今回、克服できたかもしれません。人混みで過ごす時の、自分の置き所がわかったのかも。次も、何らかの人混みで検証してみます。上手くいけば、色んな場面で応用できそうです。
*
さてさて。来週末には48回目の誕生日を迎えます。そんなにも生きてきたのですね。まだまだ若輩者ではありますが、それでも人生の折り返し地点程にはなってきました。けれども、僕の思っていた50歳手前の人はもっと大人だったような気がします。二十歳の時も、三十歳の時も、四十歳の時も、同じように思ってきましたが。この先も、同じ感覚を得ることになるのでしょうか。
先日、瞑想の先生から送られてきたメールに、ライオンズゲートが開いている時におすすめの儀式が書かれていました。その中にあった言葉に「 あれはあれで、よかったのだ 」というのがありまして。その言葉を見かけた時、昇華される自分がいました。情けない、という想いと共に、後悔の念がたくさんあったのでしょう。自分でも認識しきれないほどに。上手くいかないことがたくさんあった人生なので。
もちろん、上手くいったこともたくさんあります。そんな、今の自分を形成するために必要だった出来事の中で、頭でどうにか受け容れようとしていたものの一部を、本当の意味で受け容れられたのかも。今はそうやって悔いを手放し、自分を再構築していく機会なのかもしれません。すべてを手放し、一から自分を形成するとしたら、どんな自分を選ぶのか。誕生日に向けての、とてもよい問いが出来あがりました。
二〇二五年八月十四日

2025/08/01 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi

2025/08/03 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi

2025/08/11 SHIWA-gun / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi
おわり
” 「 歩く速さで 」では、旅先から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。そんな便りの中で僕の、日々の些細な出来事を通じた気づきを貴方に共有させてください。それが結果的に、互いが生きる日々にとって、より佳きものになれば幸いです。”
よかったら、こちらの投稿もどうぞ。
◻︎ 応援してもらえると嬉しいこと。| お知らせ【 8/7(木) 】
◻︎ 暮らしている場所の予定、などを更新しました。| お知らせ【 8/4(月) 】
◻︎ 2024-2025 応援・支援募集のお知らせ。| お知らせ【 8/23(金) 】
[ ここ1ヶ月の人気の投稿 TOP5 ]
No.1 – 夫婦とは、どうあるべきなのか。| いま、ここにあるもの #104
No.2 – テンポを保つ、素直な自分で。| 歩く速さで #034
No.3 – 深度を深める。| 歩く速さで #033
No.4 – 今を生き、今を愉しむ。| 歩く速さで #035
No.5 – 「 ある夏の日 」| 旅路 #012
これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO

1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile