悲しみにさよなら。| 歩く速さで #041 – 2025.10.15 –



Ver.1.0.0



– 現在地からの、友への便り。-






– 悲しみにさよなら –


寒露 二〇二五年十月八日〜十月二十二日




 変わらず元気にしていますか?僕はそのまま、盛岡で過ごしています。今週の月曜日の夕方から喉をやられて、今もまだ引きずっているところですが。日中との寒暖差が激しくなってきた頃から長らく、鼻水が止まらなくなっていました。アレルギーでも花粉でもなく、風邪だったみたいで。三男と大型店舗に行った時に、エアコンの暖房にとどめを刺されてしまいました。やっぱりエアコンの風は苦手です。


同じ日に、使わなくなったオーブンレンジを倉庫に片付ける流れでストーブを出しました。我が家のストーブは対流式です。試運転といいながら点けた時の暖かさが、とても心地がよくて。ストーブの上で手を擦り合わせながら温めるのがとても好きなのです。小学校の頃、冬になると毎朝、祖父が作業場の前で焚き火をしていました。手を温めていると、そこで手を温めていたことを思い出して心身共に温まります。


しかもこれで、ストーブの上で湯を沸かして、熱燗が作りやすくなるわけで。とは言っても、毎日呑んでいるわけではありません。いつでも作れる、その状況が僕にとっては大切なようです。選択肢が並んでいることは、とても有難いことです。やる、やらないも含め、選択肢があることは、日々に広がりを与えてくれますし。いつでも旅立てる、そんな選択肢もそろそろ、手元に置いておきたいものです。


*


 前回の便りで触れたのですが、やりたいと思っていることを少しずつでも叶えることを意識しています。例えば、多分長年想ってきた、天気のいい日に北上川の河原でビールを呑むことを、先日実行しました。ちょうど、妻が休みだった土曜日があったので、三男と三人で買い物をして近所の河原へ向かったのです。急遽ではありましたが、とてもよき時間になりました。付き合ってくれた妻と子に感謝です。


おつまみには、餃子とコロッケを買って。僕はハートランドの中瓶、妻はジンジャーエール、三男はクラフトコーラで乾杯をしました。土手の縁に座って、少し向こうをしっかりと流れる川を眺めつつ、ポカポカと日向ぼっこを。ジュースを一気に飲んでしまう8歳の三男には間が持ちませんでしたが。自分の願いを自分で叶える、それは何でもないようで、けれどもとても大切なことだと改めて実感しています。


他に挙げるとすれば今は、ヒルノムマガジンごっこがやりたいですね。Youtube でヒルノムマガジンという動画があるのですが、その動画のように町中華や顔馴染みのお店で昼呑みをしてまわりたいです。その昔よく行っていた ” せんべろ ” なお店とは少し違った、昼の混雑時を外した食堂などでの昼呑みの時間です。カウンターで独り、お酒の時間を楽しみつつ。これも、近いうちに実現してみます。


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 そういえば、今年は妻が ” 北のクラフトフェア ” というイベントの飲食エリアに1日だけ出店するご縁をいただいたので、三男と一緒に顔を出しました。作家さんのテントを眺める時間はあまりもらえなかったのですが、いつもとは違った時間です。相変わらずの賑わいで、手作りの物に対する人の興味を考えると、勝手に嬉しくなってしまいます。消費型の社会の傾向が低くなり、物が大切にされる世を願いつつ。


そのまま、ローカル百貨店の川徳に寄ったり、リタでのうたか自然農園の販売に顔を出したり。最後は雨が降って来たので車に戻り、本を読もうと思っていたら妻から連絡があって、迎えに行きました。そんな風にこの日はずっと、出かけたままで。三男が大きくなったからでもあり、僕に気力が戻ってきたからでもあり。ふり返るとわかるのですが、自分でも気づかぬうちに、外向きの気力を失っていたみたいです。


今日は旅しているみたいだね。そんな三男の言葉の通り、盛岡の小さなエリアを旅するような1日でした。歩く速さでまちを眺めることは僕にとって、とても大切な時間です。家にいると、自分の中にこもり過ぎる傾向もあるし、自分の中を旅し過ぎるのかも。それに、瞑想するにしてもそうですが、自分を整えるための時間を過ごすためには、それが最低限可能な心身の状態である必要があるようです。


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 冥王星の逆行が終わりを迎える頃からまた少しずつ、外側に向けてのエネルギーが生まれるようになってきたように思えました。けれども今は、喉をやられて完全に内向きではありますが。逆行の影響でもあったのか、この5ヶ月は自分をふり返ったり、省みる機会が多くあったと思います。三男の肌のことに始まり、妻の焼き菓子の活動のこと、そして旅立つ手段や現金を得られない自分のことと。


そんな中、アーユルヴェーダをやっている方の投稿で、胸椎には悲しみが眠っている、という言葉を見かけました。他には、尾骨には無気力、仙骨には哀しみ、腰椎には怒り、頚椎には不安と。それを見た時に、そうか、悲しみが眠っていたのか、と腑に落ちた自分がいたのです。長年、肩甲骨辺りから首にかけて強張りがあったのですが、いくら解しても、いくら解してもらっても、奥の方が全然緩まなくて。


それがその投稿を見た後、あまり気にならなくなりました。完全に楽になったわけではないですが。そこにあることがわかりさえすれば、手放すこともできるのだと思っています。その投稿によれば、言葉にならなかった心が引き裂かれるような想いが、そこにあったことになるので。ほんの少しでも悲しみを昇華することができたのであれば、また前に進みやすくなるのだと思うのです。


*


 さてさて。盛岡の気候は着々と冬に向かっています。夏に竹原に戻ると思っていたので、春に竹原から別府に向かう際、マフラーや手袋などは置いて出ました。来月には戻る予定ですが、最近の冷え具合を考えると絶妙に微妙な感じです。喉を痛めたことで今は、妻のネックウォーマーを借りています。まだ妻は必要としていないので、ちょうどよかったです。しかも、それを気に入っていないみたいですし。


5ヶ月ほどの調整期間を経た今も、この先に何をどうしたらいいのかわからないので、原点回帰すべく ” ごはんでダイアログ ” のページに手を加えました。別にやめていたわけではありませんが、表に出してもいなかったので。贈与の循環の試みとの関連性もよさそうですし、対話の時間で人の役に立てると嬉しいです。ただ問題は、僕との対話の時間を求めている人がこの世にいるのか、ということです。


日本人が1億2千万人いるとして、万が一の確率でいけば1万2千人。それだと多いから、100万分の一で120人。もしかしたら、十数人はご縁のある方がいるのかもしれません。そうだとしたら、その人たちとどう出逢うのか。マーケティングを学んでいた頃が懐かしいです。必要としてくれている人に、どう届けるのか。コントロールの要素は手放して、ごくごく自然に。ここはやはり、手紙なのかなぁ。




二〇二五年十月十五日

小林 豊





2025/10/03 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/10/04 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/10/11 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi






おわり




” 「 歩く速さで 」では、小林豊の現在地から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。そんな便りの中で僕の、日々の些細な出来事を通じた気づきを貴方に共有させてください。それが結果的に、互いが生きる日々にとって、より佳きものになれば幸いです。”




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