– いま、ここにあるもの。ここにある想い。-

2024/06/24 ONOMICHI / HIROSHIMA / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi
– そこにある生命の物語 –
写真家としての僕は、日々の何でもない景色をモノクロで切り取り続けています。僕自身が家や旅先での時間を過ごしながら、そこで目にしたものを切り取って。散歩の途中だったり、晩ごはんの準備や団欒の姿だったり。乗り物の中からの景色や、たまにはハレの日の写真も。そんな、ごくごく自然で、当たり前だと勘違いされてしまうような、日常の何でもない瞬間を切り取るのが好きです。
あれは確か、4ヶ月の東・東南アジア旅を終え、帰国した直後でした。友人たちと東京の愛宕神社に行った時、友人のひとりが新しいカメラを持っていて。それを見て、「 カメラいいなぁ。ちょうだい。」と自然と口から心の声が漏れてしまったのです。もちろん断られたのですが、「 前のカメラならいいよ。」と譲ってもらったのが今の、僕がどこにでも一緒に出かけている OLYMPUS PEN Mini E-PM2 です。
あれから約11年。2014年の東南アジアでの、2ヶ月間のひとり旅からずっと一緒に旅を続けてきました。その旅から戻り、かの友人宅を訪れた際に、さらに我儘を言って受け取った、17ミリの単焦点レンズで自分の目の前に広がる景色を切り取っています。その当時から時々、モノクロでも切り取ってはいたのですがいつの間にか、モノクロの写真ばかりを撮るようになっていました。
理由は単に、モノクロの写真が好きだし、しっくりくるからです。ちなみに、カラーの写真も好きですよ。夕焼けにしても、季節の移ろいにしても、美味しい料理にしても、カラーで切り取りたいものがたくさんあります。けれども、僕が切り取りたいものは、モノクロの方がしっくりくるようです。この世界に星の数ほど存在している、森羅万象の生命の物語を、モノクロの色合いで切り取りたいのです。

2024/03/21 on the ferry / EHIME / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi
– 光を切り取る練習 –
「 わしの写真もあんたの写真も、何かの賞に選ばれるものではないな。」
とある写真家さんに言われたのですが、その通りだと思えました。僕については、ではありますが。僕の写真を眺めながら、今回はえらい褒めてくれるなぁと思っていたら、笑いながらそう言われまして。ちなみに、この言葉は僕にとって誉れです。そんな写真ではありますが、大きめの画面に映し出して眺めていると、何か感じるものがあるというか。あくまで自分にとっては、ですけどね。
それもあって、大きなサイズで現像したものをいつか展示することができるといいな、と密かに思っています。少し広めな空間で、誰かに眺めてもらえると嬉しいです。今はまだ、公式ページに使うか、SNSに使うのが主なのですが、写真たちに陽の目を浴びてもらいたくもあるのです。僕の写真を眺めてもらうことで何かが湧きあがり、その人の人生をほんの少しだけ、促せるといいな。
「 とにかく順光で撮るように、と師匠から習った。」という、バーで出逢った写真家さんと、「 インパクトがあるのは逆光やな。」と教えてくれた件の写真家さんと。この二つの言葉は僕の中でセットになって残っていて、僕の写真の基本となっています。確か、これらの言葉を聴いた後だったと思うのですが、「 自分はカメラを通じて、光を切り取る練習をしているのか。」と唐突に思ったことがありました。
それは、日常や対話の場で行ってきた、あるものに目を向けることの練習だと思っています。ファシリテーターとして、自分を生きる一人の人間として。僕のような凡人はつい、ないものに目を向けてしまうのです。それなので意識して、あるものに目を向けられるように努めてきました。まずはあるものに目を向けること、そして世界を自分ごとに。これは今も変わらない、自由に生きる僕らの合言葉です。

2019/10/01 OSAKA / OSAKA / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi
– 素直に、心のままに –
今考えると、光は闇の創造主、という言葉に出逢えた時、すごくしっくりきたのは、そんな練習を積み重ねてきたからなのかもしれません。無の状態に光が当たるから闇が生まれる。光がある前は闇ではなく無である、と、そこには書いてありました。この世界の理とも言えるようなことだと思っています。そしてこれは、人の心においても同じことが言えるような気がしています。
そんなある日、カメラのモニターが壊れて映らなくなりました。このカメラにはファインダーはありませんが、写真は撮れるのでそのまま使い続けています。もう一年以上は経ったのですが、以前の写真よりも、画面を見ずに撮る今の写真の方が、好きな写真が多いのです。悔しいかな。眼で見てしまうと意図が入りすぎてしまうのでしょう。これもまた、大切な練習をしている気がしています。
きれいだなとか、いいなとか、心が動かされた景色を素直に切り取る。思考ではなく、心のままに。その瞬間はもう二度と訪れることがないことを痛いほど学んできました。それなのでいつも、手の中にカメラを持ったまま過ごしています。その瞬間は、眼にも、心の中にも刻まれるのですが、それでも写真にも収めておきたくて。ただただ、心のままに、目の前にある瞬間を。
その先にどんな未来が待っているのかはわかりません。願わくば、自分も70歳くらいになった頃、こたつに入って延々と色んな写真を眺めて、そこから感じられる物語を味わい、ニヤニヤしながら過ごせているといいな。例えばそんな未来まで、あと二十数年。途中で気が変わるかもしれませんが、そんな未来を頭の片隅で思い描きつつ、目の前にある生命の物語を切り取り続けていきます。
おわり
” 「 いま、ここにあるもの 」では、小林豊の独り言をつらつらと書き記しています。この投稿をする1番の理由は自分自身が思い出す為なのですが、それが巡り巡ってたまたま、この独り言を必要としていた人の元に届くのも嬉しいなとも思います。そんな小さな奇跡を信頼しつつ、自分の内側にある想いを言葉にしています。”
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No.5 – はじまりの唄。| 旅の途中の #026
これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO

1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile