– 現在地からの、友への便り。-
– 旅の始まりに掲げた言葉 –
立冬 二〇二五年十一月七日〜十一月二十一日
変わらず元気にしていますか?僕はそのまま、盛岡で過ごしています。暦の上では冬を迎え、早くも秋が終わってしまいました。とは言っても、暦としての季節は均等に分けられていますが。八月初旬に暦の上での秋を迎えるということが益々、季節外れ感を増しているように思えますね。そして盛岡では早々と、冬を感じる機会が増してきました。気候であったり、食べ物であったり、服装であったりと。
街の中の紅葉も今が盛りのようで。色づいた樹々の写真を旧Twitterでたくさん見かけました。歩いていても落ち葉が目につきます。この落ち葉を土に還せる環境が増えればいいのにな。一昨日は、妻が干し柿の仕込みをしてくれました。これからしばらく、天気のよい日は外に干し、夕方には入れる日々が続きます。干しっぱなしにできないので多少の手はかかりますが、今年も美味しい干し柿が食べられますね。
何と言ってもこの時期の醍醐味は、ストーブに置いたやかんで燗をつけることです。僕にとっては。二十代の頃、仕事を終えた友人が遊びに来ては、毎晩二人で一升空けていた時の名残かな。ちなみに、僕はいつも四合程度でした。友人が六合で。あの頃に味わった温かさを、三十年近く経った今でも覚えているようです。冬には冬の、よき思い出がありますね。今は燗をつけても半合程度。それで満足しています。
*
一昨日、年内は竹原に向けて出発しないことを決めました。自分との対話の結果です。200日以上同じ場所で過ごしているのは旅する暮らしを始めて以来初めてのことなので、その数字を見ると不思議な感覚になります。けれども家事や作業など、日々のことを行なっているとあっという間に過ぎた感があります。何にせよ以前のような、同じ場所にいると膿んでいくような感覚はありません。
ちなみに、ずっと竹原で過ごしていた頃に膿んでいた実感はありませんでした。でも、今の自分でふり返るとそう感じられます。外側の基準ばかりを重んじて、自分自身を押さえつけて。すべき、ねばならないと、頭で必死に自分を支配していました。心が、魂が何かを望んでも都合よく押さえつけて。あの頃の自分も自分ではあったけど、色んな要素がズレてしまっていたことが、今ではよくわかります。
だから膿んでいくのです。そうなるべくして。そんな波動で、そんな周波数で生きれば、そうなるための要素ばかりを引き寄せてしまいますね。それを、人や環境のせいにして、また更なる負と感じてしまう出来事を引き寄せて。旅する暮らしを通じて、そんな自分を手放すことができたのは、運がよかったのかもしれません。ただ、社会とのズレは大きくなりました。生きることの本質に近づけたはずなのに。
*
この先の世界ではより、自立できるかどうかが鍵となってくると考えています。それは、今の社会で言う経済的な自立ではなく、精神的な自立です。経済的な自立も大切ですが、職場や現金に、家族や恋人や友人にただ依存した状態では、本当の意味で自立した状態とは言えません。精神的な自立とは、自分で自分の機嫌を取り、自分で自分の価値を決め、私を主語にして自分を生きることだと僕は考えています。
ちょうど勤労感謝の日を迎える頃にこんなことを思い浮かべるなんて、とても面白いものです。11月23日、新嘗祭が行われるこの日は、十三年前に DAIKI と COSMOPOLITANS を結成した日。そこで掲げた、「 まずはあるものに目を向けること。そして、目の前の世界を自分ごとに。」という言葉は以来ずっと、僕の日々を導いてくれました。言い換えれば、足るを知り、自分を生きよう、ということですかね。
そして目指すのは「 助け、助けられる世界 」です。ただ依存するのではなく、自立した状態で依存し合い、必要であれば助け、必要であれば助けられる、そんな世界です。DAIKI と共に読書会などの対話の場をつくりつつ、日本から東南アジアまでを旅した日々の始まりに掲げた言葉たちがこうして、時を経ても変わらず導いてくれるなんて、とてもありがたいことです。まさに必然を感じます。
*
そんな必然に導かれながら、今日まで無事に生きてきました。この先がどんな世界に変わっていくのか具体的にはわかりませんが、それでも元気に愉快に、例えばあなたのような大切な人たちと共に、この世界を生きていくのだと思います。しかしほんと、どんな世界になっていくのでしょうね。絶対王政が終わり、産業革命が起きた時のように、僕らの当たり前が覆るような変化が起きるのかもしれません。
現代でのそれは資本主義社会の、本当の意味での終焉なのでしょうか。未来のことはその時になってみないとわかりませんが、当たり前が当たり前でなくなであろう世に向けて備えるとしたら。自分であれば、どんな時代であろうと変わらない、核となる自分との関係性を高めることを意識するのかも。自分が今、日々の中で大切にしているとことや心から望むことなど、旅する暮らしの中で再会できた自分です。
そんな自分自身と一緒に、柳のようにしなやかに過ごしてゆけたらいいなと思います。しっかりと根は張りつつも、風邪や衝撃に身を任せつつ揺らいでいる、そんな自分で在れたらと。出来事や自分の喜怒哀楽を愉しみつつ、身の丈をほんの少しずつ伸ばし、自分の器もほんの少しずつ広げて。時代は変われども変わらず、この先もそんな日々を過ごしていけたらと思います。
*
さてさて。次の節気は小雪です。例年、その頃を目安に冬用タイヤに換えています。それなので、今年も交換のタイミングがやってきました。車をいただいてから自分で交換するようになりましたが、やるわかることがありますね。まだ、冬と春で二度ですが。車も大きくなり、タイヤのサイズも変わりました。このタイヤが、僕らの日々を支えてくれています。そんな足回りを交換しつつ磨いて。ありがたいです。
車に限らず、まずは自分にできることは自分でやること。やりたいと思えることを、可能な範囲で。専門家に任せる部分も多々ありますが、自分の元に来てくれた物たちの手入れは、可能な限り自分でやりたいです。物の命を全うできるよう、使い手として関わってゆきたいという想いがあります。日々を彩る、大切な仲間たちでもあるので。そのためにも、余白が重要になってきますね。
そうこうしているうちに、あっという間に白い季節を迎えるのだろうな。今季の雪はどうですかね。いつからか、葉の落ちた木の枝を美しいと思えるようになってから、冬に温もりを感じられるようになりました。年を重ねた分、身体は寒いのですが。瀬戸内で育った僕は、雪国の景色に目も心も奪われてしまいます。音のない白い世界はすべてを受け容れてくれるようで。願わくば僕も、そんな人間で在りたいです。
二〇二五年十一月十四日

2025/11/03 MIYAKO / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi

2025/11/06 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi

2025/11/10 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi
おわり
” 「 歩く速さで 」では、小林豊の現在地から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。そんな便りの中で僕の、日々の些細な出来事を通じた気づきを貴方に共有させてください。それが結果的に、互いが生きる日々にとって、より佳きものになれば幸いです。”
よかったら、こちらの投稿もどうぞ。
◻︎ 応援してもらえると嬉しいこと。| お知らせ【 11/13(木) 】
◻︎ 暮らしている場所の予定、などを更新しました。| お知らせ【 11/10(月) 】
◻︎ 2025-2026 応援・支援募集のお知らせ。| お知らせ【 8/23(土) 】
[ ここ1ヶ月の人気の投稿 TOP5 ]
No.1 – 夫婦とは、どうあるべきなのか。| いま、ここにあるもの #104
No.2 – 悲しみにさよなら。| 歩く速さで #041 – 2025.10.15 –
No.3 – 「 はじまりの旅 」| 旅路 #015
No.4 – 自分のまわりにいる人の、苦しみや悲しみに触れるのが辛かったんだ。だから心を閉ざしていたのだけれど、でもこれからは。| いま、ここにあるもの #078
No.5 – この先の十二年の、種となるもの。| いま、ここにあるもの #150

これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO

1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile

