– 現在地からの、友への便り。-
– 冬がはじまるよ –
霜降 二〇二五年十月二十三日〜十一月六日
変わらず元気にしていますか?僕はそのまま、盛岡で過ごしています。今朝の最低気温は氷点下だったらしく、静かに近づいてきた冬を肌で感じているところです。来週には立冬を迎え、暦の上でも冬になりますね。昨日の外出時には、戴冠した岩手山が見えました。僕は、雪がある方が岩手山らしく思えます。富士山も同じく。写真や絵によく使われている姿が自分にとっての標準です。きっと、その印象かな。
今年は熊の出没情報が多く、近場では三男が放課後に時折行く児童センター前でも目撃されたようです。一昨日は、岩手銀行の地下駐車場と岩手大学に出没したようで、街中だから大丈夫という感覚は覆されることになりました。食べるものがないのか、メガソーラーの影響でバランスが崩れたのか、熊の総数が増えすぎ、争いに敗れた熊が里山に下りてきたのか。何にせよ、色んな要因が絡まっていそうですが。
その真相は熊のことを知らない僕にはわかりません。ただ、なぜ熊の不自然な行動が広い地域で多発しているのかが気になります。こんな様子だと三男を、学校帰りに児童センターへ行かせるのも躊躇してしまいます。僕が居れば家に帰れられるので。冬眠すれば僕が旅立っても問題ないのかもしれませんが、果たしてこの不自然な状況ですべての熊が無事に冬眠できるのかどうか、これまた僕にはわかりません。
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最近は、日々自分と向かい合いながら過ごせています。前回の便りでも触れましたが、自分を整えるためには最低限それが可能な心身の状態である必要がある、ということを更に実感できました。病に伏せた人と同じですね。身体が弱りすぎた状態では薬を飲ませることができないので、まずは身体を休めながら重湯などで栄養を摂り、薬が飲める状態まで回復する必要があると、本で読んだことがあります。
心を整えるのもそれと同じで、最低限の状態まで回復ができないと、自分と向かい合うこともできません。加えて、昨日見た投稿に「 スマホを多く使っている生活の中で本を深く読むのは、集中できないというより、報酬系と認知制御系の間で干渉が起きている 」とありました。加えて現代では、心の状態だけでなくこの要素も関係しているように思います。脳の情報処理を切り替える必要があるようです。
ちょうど僕自身、一ヶ月半前からインスタと Facebook をスマホから見ないようにしました。その結果、本当に必要な時だけパソコンで開き閲覧するので、全然見ない日々が続いています。その分今は、本を読む時間が増えてきました。ここ最近は特に、どうすれば移動手段や現金を受け取れるのか、と考えることが多かったので。それこそヒントや解を探しながら見ていたのだと、ふり返ると思えます。
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受け取れなかったのはとにかく、僕自身の、理想を現実にする力が足りていなかったのだと思います。出来ていることもありますが、カタチになったと言うには足りていないことが多いので。自分から人にモノやコトを巡らせて、自分が必要としているモノやコトは贈与として受け取る。旅先では出来ているのですが、家に戻って過ごしていると、出来ない部分が増えるというか、うまく巡らなくなるというか。
単に、人との関わりが激減すること、が理由の一つだとは考えています。盛岡でいえば、関わるのは妻と子がほとんどですし。訪ねた先のように、自分にとって身内同然の友人に関わる機会もあまりありません。家に居る時間が多いので、偶然のご縁も少ないですし。ちなみに、旅先だからといって、必ずしも多くの人に関わるわけではありません。年々、関わる人は少なくなってきています。
それと、人に頼むことが得意ではないことも影響しているのだと考えています。ある投稿で、「 「返す」ではなく「めぐっている」と気づいてから人を頼れるようになった。」とありました。一宿一飯の恩をどう返すのか、ということに頑なになっていたのかもしれません。タイミングを信頼することを徹底していた名残りもありますが、自分には返せるものがないから、と思っている節も確かにあって。
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そんな部分を一つずつ修正しつつ、日々を過ごしていくのですが、やりたいことがまた見つかりました。それは、Youtube の「 Alone in Japan 」というチャンネルで、日本のひとり暮らしをただ眺める動画を観ていた時に思いました。その動画と同じように、僕はカメラで人の生きる姿を切り取ってみたいなと。朝から晩までを過ごす、何でもない姿を切り取りたいのです。やはり自分は、ケの日に惹かれます。
元々、友人の店で友人が働く姿を切り取りたいと思ってはいました。けれども、働いている姿だけでなく、生きている姿がいいなと思って。歩く速さでまちを眺めつつ人の営みを切り取る、という僕の写真家としてのスタイルからもう一歩踏み込んで、個人に焦点を合わせた作品として遺していけるといいな。これまでも、滞在先でそんな写真を撮ることはありましたが、それはスナップとしてなのです。
今回のそれは、撮ることを前提にして行うものになります。これまでのような、関係性と雰囲気で撮るのではなく。何でもない日々の営みの中で、人の素が現れる瞬間を切り取ることができれば嬉しいです。そこにはきっと、人としての美しさも表れているでしょうし。そしてそれは、永遠に色褪せることなく遺ってくれるでしょう。それに向けてまずは、相棒となるカメラを手にするところからですね。
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さてさて。明後日には11月を迎えます。今年も残すところ二ヶ月となりました。十ヶ月間生きてきたということは、その時間分たくさんのモノやコトを巡らせ、たくさんのモノやコトを受け取ってきたということです。自分でも知らず知らずに、も含め。十ヶ月分のお金などのエネルギーを巡らせながら生きたので、最低限同等の何かは受け取ってきたはずです。実際に受け取るのは二倍から三倍の印象ですが。
「 お金=減るもの 」ではなく、お金は価値を交換するためのエネルギーだということを実感しています。生きるためにそれを使ったのであれば、使った分だけは何かを受け取っているということ。現物以外のそれは実感しにくいものですが、安心や喜び、涼しさや暖かさ、希望や温もりなど、生きていくために必要な何かを受け取ってきました。それが十ヶ月分となれば、結構な量になるでしょうね。
この先の時代、そんな目に見えないものが重要になるのだと勝手に考えています。だからこそ、目に見えるモノを大切にする必要が前提ですが。どちらか、ではなく、今は両極の間に身を置く時代なので。目に見えるモノを大切にしつつ、目には見えない不確かなコトをどれだけ大切にできるか。当たり前になってしまえば何の問題もないのでしょうけれど。転換期を生きるのも、簡単ではありませんね。
二〇二五年十月三十日

2025/10/19 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi

2025/10/24 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi

2025/10/27 HANAMAKI / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi
おわり
” 「 歩く速さで 」では、小林豊の現在地から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。そんな便りの中で僕の、日々の些細な出来事を通じた気づきを貴方に共有させてください。それが結果的に、互いが生きる日々にとって、より佳きものになれば幸いです。”
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これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO

1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile

