– いま、ここにあるもの。ここにある想い。-
– 今の自分を形成するために必要なこと –
お陰さまで先日、旅する暮らしが丸十二年を迎えました。ここまでこうして生きてこれたのは、自分と出逢い、関わってくれた皆さんの協力や応援あってのことで、本当に感謝しています。宿泊先や食事、交通手段の提供や、物やお金などでも支えてもらいました。それに、想いを届けてくれる人や、否定の意見なども。今の自分を形成するために必要なことを、必要なタイミングで届けてもらってきました。
そして、自分の想いに応えてくれた自分自身にも感謝したいと思います。どうやら、僕らが生きるこの世界では、必要な出来事やご縁が、最適なタイミングで訪れるようです。しかも、一瞬も早からず、一瞬も遅からずで。旅する暮らしを重ねている中で、この世はそんな風に出来ているのだなぁ、と実感する機会を何度も得ました。そして、それを引き起こしているのは自分自身の前提や選択だということも。
一つの出来事で、関係する複数の人に必要な体験を、最適なタイミングで起こすこの世は、シンプルだけれど、とてもすごい仕組みで出来ているなと思います。まさに人智を超えた仕組みです。そんな世界で、流れや自分自身に抗って生きるのも一つの選択肢だけれども、目の前の出来事やご縁を肯んじながら受け容れ、流れに沿って生きるのが生きやすいのだろうなと、漠然と思うのです。
人が生きている中で、問題は何度でも起きるし、時に迷惑がかかることもあります。もちろん、問題が起きないように、迷惑がかからないように努めることは大切です。そんな前提を抱きつつも、自分の心に従って素直に生きること、かなと。問題も課題も迷惑も、その人にとって必要な出来事の一つには変わりないし、そこからまた自分の人生を生きるためのヒントを得ることになるので。
どうあっても個人の最大の目的は、自分の人生を生きることだと思っています。自分の人生の責任を取れるのは自分だけで、誰かに責任とってもらうことは出来ません。責任という言葉の解釈も含め、誰かの責任を負えるという勘違いは、いつの時代に生まれたのでしょうか。自分の目の前の出来事は自分が招いたもので、その体験から学び、必要であれば自分自身を変えていく以外にないのだと思うのです。
そう思うからこそ、自分を生きようとする者に対して寛容な社会が広がるといいな、と思います。自分を生きることに挑戦している人を、素直に応援できる世の中へ向かえば嬉しいです。特に、人生経験の多い年長者が率先して。自分も更に歳を取れば、変化を好まなくなるかもしれません。けれども、変わり続けているこの世界で大切な何かを守るためには、死ぬまで変わり続ける必要があるのだと思うのです。
– その繰り返しの日々 –
当初とは旅の仕方も変わり、拠点も竹原と盛岡の二つになりました。旅する暮らしにしても、二拠点生活にしても、自分で実際に体験して、ただ憧れていたことなのか、この先も自分がそんな世界で過ごしていきたいのかなど、行動した結果の出来事が道標のように、今の僕の生き方や在り方を導いてくれました。それもあって、色んな事柄について、自分が、というより、結果的に、という感覚が強いです。
確かに自分で選びはしたのですが、その選択肢が目の前にあったから結果的に、という感覚です。旅をしながら暮らすことも、関係性の向上を専門に対話の場をつくることも、土に還る家をテーマで建築の世界に戻ることも、モノクロ写真で目の前の世界を切り取り続けていることも。十二年前の、分かったつもりの自分が想像できる未来は、とても視野の狭いものでもありましたし。
そんな当時の僕の、今よりも更に小さな世界をいい意味でぶち壊してくれたのが、この旅する暮らしの中での日々でした。日本中を巡り、東・東南アジアで暮らすように旅をしている中で、当たり前がどんどん崩れていって。その反面、いつでもどこでも変わらない自分自身と出逢うことにもなりました。だからこそ、有り難いと心から思えます。正に、有ることが難しい、ということを実感する日々でした。
自分の心に従って行動し、そこから生まれたご縁や出来事に背中を押してもらって、今こうして言葉を綴ることができています。十二年前の自分からすれば、見事に想定外。何はともあれ、心の躍り具合や直感を信頼して、実際に行動し体験すること。その結果が望み通りのことであれば、更にその先の行動を選び、もし望まないことであれば、きちんと反省して次に活かすこと。とにかく、その繰り返しでした。
上手くいったことも、上手くいかなかったことも、たくさんあります。例えば、人との関わり合いの中で上手くいかないことがありました。自分は関わり合いを、関係性の向上を専門にしているのに、です。問題になったり、迷惑をかけたり、不快な気持ちにしてしまったり。けれども、その部分は真摯に受け止めて反省し、次に活かしていく以外にありません。専門であればこそ、プロであればこそ、尚更です。
他には、物々交換の試みがうまくいかない日々がありました。そんな時、それでも今の自分にできることを、と思い立って前を向き、動き始めた瞬間に支援が届いたりして。そんな時に大切なのは、出来事から学び、改めて前を向くことでした。自分にとっての前がどの方向なのかは、自分の心が教えてくれます。落ち込んだ時ほど、それは明確に、明るい光となって僕の人生を導いてくれてきました。
– それはきっと、この先も続くもの –
この先も旅する暮らしは続けていきたい、と今は思っています。この十二年間の中で何度も、もう旅はやめた方がいいのかな、と何度も自分に問いかけてきました。つい先日も問いかけたところで。けれども今のところ、その問いかけの解は、続ける、だったので、続ける方向で進んでいます。そもそも、人生そのものが旅なのでしょうから、わざわざ移動しながら生きる必要もないのかもしれませんが。
何にせよこの先、言動だけでなく、人や自分の存在を承認できる自分で在ろうと思います。信用よりも信頼で人や自分と関わり、人や自分に期待するのではなく信頼して見守って。自分が望む関係性とはどんなものなのか、体験を経る度に考え続けてきました。それはきっと、この先も続きます。ここ数年は特に、身内だと思える人との出逢いが多く、身内とは、家族とは何のか、と問いを与えてくれます。
それと近年、旅や対話を重ねている中で、相手のチャクラを整えることができれば、と思う機会が増えました。自分をふり返り、思考や心を整理することも必要だけれど、言葉にならない、けれども後ろ向きな影響を与えている何かを取り除き、本来の自分をを味わうことも大切だと思うのです。最近になって、背中に直接触れなくても整えられることがわかってきて、個人的には光明が差してきた感があります。
ちなみに、僕にとって人に触れることは、対話よりも更に、相手とシンクロしやすく、混線を生みやすい行為です。それなので、握手でも避けたい時もあるし、相手の状態によっては、ハグは命がけの行為です。それでも、受け止めようと思える繋がりを感じる人たちがいます。それは僕の感覚的なことなので、勘違いなのかもしれませんが。何にせよ、ご縁ある人には幸せであって欲しいじゃないですか。
そして、こんな世の中だからこそ、自分の中の、社会に対する興味が見事に失われています。この世の全ての存在を信頼はしますが、この社会の中心にいる人たちを信用していません。思った以上に茶番だらけです。だからこそ自分が、自分らが生きていく上で必要なことを自分らで整える必要もあって。そもそも、今の政治は国民のためのものではないのですね。それでも、現場は懸命なのだとも思います。
政治家や組織のお偉いさんなどから、ズレた欲求を感じることも増えました。頭でっかちな、権力を持った子供というか。聖人君主であれ、とは思いませんが、先輩方には大人であって欲しいのです。この社会で言う大人ではなく、精神的に自立した無邪気な大人として。もちろん、それぞれに事情はあるのだと思います。何にせよそれは人ではなく、自分自身が率先して、そんな大人になっていくしかないのですが。
– 春を待つ中で –
三年間の、人生の収穫の季節もあと四ヶ月と少しとなりました。過ぎてしまえばあっという間でしたが、濃く苦しい時期もありました。この三年は、誰かや出来事に背中を押してもらいながら過ごす時期と定め、出来事やご縁から自分の行動を決めています。そんな日々もあと少し。次の立春を過ぎてからは改めて、自分で決めて動いていきます。今はそれに向けての準備の時で、妄想が膨らんでいます。
例えば、これまでの体験を話す機会をつくらせてもらうことができると嬉しいです。必要としてくれる人に出逢えるといいのですが。旅のこと、対話のこと、贈与の循環のこと、関係性のことなど、自分が体験してきたことを、こぢんまりとした場で話させてもらって、最終的にはその場のみなさんと対話ができるといいなと思います。穏やかに静かに、けれども心は躍らせて。みんなで輪になって座りながら。
それと、こんな世の中なので改めて、WORLD PEACE 読書会を開催していきたいです。おかげさまでこれまで、109 回開催することができました。数字的にも少しは煩悩を手放すことが出来たであろう感があるので、そこに贈与の循環を取り入れていきたくて。そうやって改めて、自分にとっての世界平和とは何なのか、本をきっかけにした対話の場で一緒に、自分なりの解を見出してもらえたら嬉しいです。
他には、ずっとやりたいと思ってきたラジオや塩をメインにした生活用品店、そしてバンライフなど、春に向けて種を蒔き始めたものがあります。スキナトキニ、スキナコトヲ、スキナトコロデ。そんな生き方をよりカタチにして。それに加えて来春からまた、14DAYS×春夏秋冬を再開したいです。今の候補は松江、奈良、富山、長野で、年に一ヶ所、季節変えながらそのまちの暮らしを味わってみたいのです。
そして何より、僕が持つ想いやギフトを活かしてくれる人と活動していきたい、と強く願っています。僕は、旅や対話の場を通じて、人や自分の人生を促していくことを自分の役割として生きています。専門は関係性の向上で、対話を通じて、癒し、安心、投影、整理、発見、加速、増幅、といった、状況に応じた機能を果たしていると分析しています。そしてここに、浄化を加えられるといいなと思っていて。
今の自分にできること、も大切だけれど、今の自分だからできること、今の自分にしかできないことをやれる機会を増やせていけたら嬉しいです。互いの想いを尊重しながら生きていける人と、この世界に還元できることを見出し、カタチにして。旅する暮らしが丸十二年を向かえた今、率直にそう想います。それなのでいつも通り、率先して自分が行うこと、なのですね。タイミングを信頼しながら、一つ一つ。
おわり
” 「 いま、ここにあるもの 」では、小林豊の独り言をつらつらと書き記しています。この投稿をする1番の理由は自分自身が思い出す為なのですが、それが巡り巡ってたまたま、この独り言を必要としていた人の元に届くのも嬉しいなとも思います。そんな小さな奇跡を信頼しつつ、自分の内側にある想いを言葉にしています。”
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これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO
1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile