【 ひとりごと。#105 】人を育てる立場にある人で、それぞれの個性を大切にしている人、そしてきちんと、自分も幸せであることを望んでいる人へ。


Ver.1.0.1



– COBAKEN のひとりごと。-


人を育てる立場にある人で、それぞれの個性を大切にしている人、そしてきちんと、自分も幸せであることを望んでいる人に伝えたいことがあります。







それは、一緒に対話を日本に広めましょう、という僕の願いをお伝えしたいのです。




僕は今、D-LABO というコミュニティの運営や対話の場をつくる仕事を通じて、対話の文化の礎を築くことに向け、対話について掘り下げながら、対話の場を広める活動をしています。その先にあるのは、本人が望めば、自分が何者なのかを見出し、自分が本当にやりたいことをやれる関係性をこの世界に広げるためです。

今の僕が、対話が広がりを判断するための基準は、議論と対話の目的の違い知り、目的に応じて使い分けることができるかどうか、です。それを知って使い分けている人が日本の全人口の2〜3割になるように、と活動をしています。ただ、その割合をどうやって把握するかは、まだ考えていませんが。


ちなみにこの活動は、僕一人がやっていることではなく、僕の知らないところでもいろんな人がやっているはずだし、日本だけなく世界で同時に起きていることだと思っています。今はもう対話の時代になったので、それが当たり前の世界に向かうための要素は、いろんなところで起きているはずです。

実際、議論と対話の目的の違い知り、目的に応じて使い分けることができれば、それだけで自分の目の前の世界は大きく変わります。身近なところで言えば、夫婦や恋人などのパートナーとの関係性や、親子との関係性が変わっていきます。

そんな、対話を広めることを一緒にやっていただきたいのです。




ここ数年で特に、対話、という言葉を広告で目にしたり、テレビなどで耳にする機会が増えました。

対話の意味を辞書で引くと、「 向かい合って話し合うこと、また、その話 」と書かれています。確かにその通りです。間違っていません。人を通じて自分を見出し、その自分と向かい合って話すこと、だと僕も思います。

でも、向かい合って議論していることを、対話をしていると勘違いしている人が想像以上に多くて。これは僕の知っている範囲でしかありませんが、それも、人を輝かせる立場にある人が、例えば、先生と呼ばれる人であったり、組織の代表であったり。




[ 議論の目的 ] 結論を出す、合意する

◆ 意見をぶつけ合い、よりよい答えを導きだす
◆ 自説の正しさを主張して相手を説得する
◆ 事実に基づいて、論理的に話し合う
◆ 全員が納得する合意をつくりあげる


[ 対話の目的 ] 探求する、発見する

◆ 結論をまとめようとせず、探求を続け、新しい仮説を導く
◆ 語ることと考えることのバランスをとる
◆ 判断を保留し、対立を恐れず、新たな考えを出し合う
◆ 思い込みを疑い、多様な視点から考える




今は、議論の時代から対話の時代へと移り変わりました。

白か黒か、の時代から、白もあれば黒もある、という風に対極に目を向ける時代です。ポジティブだけでなく、ネガティブにも目を向ける時代であり、今まで目を向けなかった世界に目を向けることで、この世界はより多様化しています。


とは言っても、人間とは、相手の個性を重んじたい、と想いながらも結局、自分の正しさを押し付けてしまうものなのかもしれません。目の前の人に賛同してもらいたいし、嫌われたくもないし、仲間はずれにされたくないし。

そうなってしまう理由は、議論というコミュニケーション手法しか知らないから、なのかもしれませんし、人を育てる側の人自身の欲求がズレたままで、本来の自分のバランスからズレているから、なのかもしれません。


ただ、それが悪いとは思いません。それは、先ほどから言葉にしている、その人が持つ個性であり、大切なプロセスなので。

その人自身が生きてきた結果で体験している、本当の自分に向かうためのプロセスであって、その状態を否定するつもりはありません。自分が体験した程度でしかありませんが、本来の自分のバランスからズレて生きることは、実はとても苦しいことですし。

それを望んでやっている人であったり、自分で選んでいることを知っている人は、その選択で得られる体験を大切にしていただきたいのです。先ほども言葉にしましたが、それは、その人自身が生きてきた過程で本当の自分に向かうためのプロセスなので。

でもその中で、ズレていることに気づいた人は、本来の自分のバランスに戻るための行動をとる必要があるのだと思います。


余談ですが、人が持つ思い込みや古い観念、それに欲求のズレなど、本来の自分からズレから状態だから、わがまま、と言われる状況が起きます。その理由は、理解されたい、理解したい、必要とされたい、認められたい、愛されたい、など、ズレた欲求を満たすためには人が必要となり、自分の想いよりも欲求を満たすことを重んじた行動になるからです。

しかも、欲求がズレたままだと、どの欲求は満たされません。やればやるほど際限が無くなり、より多くを求めることになります。そして、頑張って理性で自分を抑えても、自分の容量を超えたときに爆発してしまいます。それは、喉が渇いて渇いてしかたなくて、喉を掻きむしっている、そんな状態に見えます。

そんなバランスのズレを自分の毎日の暮らしの中で治していくための手段の一つが対話です。

日々の暮らしに対話を取り入れ、自分と相手の違いや共通点を見出しながら、自分はどうなのだろう、と自分自身に触れていきます。そして、その想いを言葉にして相手に伝えることでまた、自分の想いを顕在化し、それによって起きた出来事からまた、自分自身を知ることになります。


最初に書きましたが、対話とは、人を通じて自分を見出し、その自分と向かい合って話すこと、であって当たり障りのない話を続けるものでもありません。手段などの浅い部分の話ばかりでは、その奥側にある自分の本当の想いに触れにくく、目的である探求や発見はされにくくなります。

いろんな対話がありますが、僕が知っている対話は、相手との違いや共通点を楽しみながら話をして、そこに現れた知らない自分や忘れていた懐かしい自分に目を向けて、世界が広がるのを楽しむものです。




例えば、組織やコミュニティなど、人が一緒に過ごすの中では共通のルールが存在します。

それはあくまで、人と人との間に存在するものであって、誰かひとりの中にあるものではありません。自分のルールは自分のもので、相手のルールは相手のものです。それらを包括しながらみんなで合意して大切にしていくのが、組織やコミュニティにおける共通のルールです。

リーダーの中に存在する基準で物事を進めていく、そんなやり方で人が幸せになった時代もありました。その中で組織の人がそれを言語化して共有し、それが全体に浸透して。そのやり方はこれからも続いていくでしょうし、議論の時代のやり方を必要としている人は、それを望む人同士で集まって続けていけばいいのです。

そう、どうあっても僕は、その人の想いや選択を尊重します。そして、自分の想いを尊重します。

それはどちらが先なのかはわかりません。でも、どちらが欠けても僕の世界のバランスは崩れていきます。自分の想いを最優先できるから、目の前の人の想いも尊重できるし、目の前の人の想いを尊重できるから、自分の想いも大切にできるのだと思います。

対話とは、私の想い、それを言葉にして共有する時間です。

私、という主語で自分の考えや想いを言葉にして相手に伝えます。相手はそれを聴き、自分の考えや想いを言葉にします。その時に表現する考えや想いは違っていてもいいのです。むしろ、違っていないとおかしいです。

人格や性格が違いますし、育った環境が違います。それに、今日まで生きてきた体験が違います。それでまったく同じ考え方の人がいたとしたらそれは、出逢うべくして出逢った、あなたの人生においての特別な存在の人なのでしょう。

それを、どちらかが正しいのか、と結論を求めるのではなく、お互いの考えや想いの違いや共通点からまた自分の考えや想いを知るのが対話です。時に強く言い合うこともあります。そんな時でも、目的から逸れなければ、それは対話なのだと思います。




とても長くなりましたが、ということで、人を育てる立場にある人で、それぞれの個性を大切にしている人、そしてきちんと、自分も幸せであることを望んでいる人はぜひ、あなたのまわりの大切な人たちに、対話を広め、対話の時代の生き方を伝えてください。

僕らと一緒にでもいいし、別の誰かと一緒にでもいいし、あなただけで始めても構いません。最初に書いた通り、この活動は、僕一人がやっていることではなく、僕の知らないところでもいろんな人がやっているはずだし、日本だけなく世界で同時に起きていることだと思っています。今はもう対話の時代なので。




そんな僕らは、戸口に立っているのだと思います。

その先に待っているのは、誤解なく分かり合える世界で、それに必要な要素はきちんと持っていて。でも、これまでの習慣をなかなか手放すことができません。僕らのパターンに染み付いて、手放そうと思っても手放せないのです。

だったら、そのまま包み込んでしまいましょう。

過去の自分も、未来の自分も、今の自分もみんな、大切な自分なので。

今は、現在過去未来のすべての自分の想いを大切にしながら、まわりの大切な人たちも大切にする世界です。そんな、次の世代、その次の世代の感性が輝ける世界に向けて、まわりの大切な人を輝かせながら、まずは僕らが輝いていきましょう。


それでもし、僕らと一緒に対話を広めてもらえるのであれば、D-LABO という相互学習コミュニティで学び合い、対話や対話の時代の生き方を広めていきましょう。


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下記は、Dのこと。という、対話を促すための資料です。D-LABO メンバーの探究から紡がれた言葉を綴っているもので、今回の投稿に関連する、No.1 はじめに、No.2 ダイアログとは、No.45 ディカッション、No.89 欲求のズレ、No.91 自分本来のバランス、を貼り付けました。

よかったら、対話と議論があなたにとってはどういう違いがあるのか、それを考えるきっかけとして活用してみてください。


No.1 はじめに Ver.1.5 / 2017.10.07
 資料の内容
  【1】旅する暮らしの中での大切な時間 –
  【2】対話の時代 –
  【3】まずは自分の中の争いをやめること –
 PDFデータ ⇒ No.1 はじめに Ver.1.5 –


No.2 ダイアログとは Ver.1.4 / 2016.03.28
 資料の内容
  【1】ダイアログとディスカッション –
  【2】なぜダイアログするのか –
  【3】ダイアログの場を増やしたい理由 –
 PDFデータ ⇒ No.2 ダイアログとは Ver.1.4


No.45 ディスカッション Ver.1.0 / 2015.07.08
 PDFデータ ⇒ No.45 ディスカッション Ver.1.0 –


No.89 欲求のズレ Ver.1.0 2017.03.29
 資料の内容
 【1】欲求を正常な状態に戻すこと –
 【2】受動的な欲求のズレと能動的な欲求のズレ –
 【3】思い込みが創り出す、欲求のズレ –
 PDFデータ ⇒ No.89 欲求のズレ ver.1.0 –


No.91 自分本来のバランス Ver.1.0 2017.05.04
 資料の内容
 【1】才能を最大限に活かし、自分で選んだ世界を創る –
 【2】過去の自分とのコミュニケーション –
 【3】自分自身で整える、自分本来のバランス –
 PDFデータ ⇒ No.91 自分本来のバランス ver.1.0 –


その他の資料は、下記のリンク先にあるので自由にご覧ください。

Dのこと。 資料一覧
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おわり




この投稿を読まれた人は、こちらも読んでみてください。

寺子屋のようなもの。




    




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