– くらしのタネ –
今回は、「 嫌い、とは何なのか 」というテーマで言葉を綴りました。
僕にとって、嫌い、という感情はとても力が強く、可能であれば避けて通りたい感情でした。そもそも自分が嫌いでしたし。でも今は、割と仲良くできていて、自分と仲直りするための色んなヒントを与えてくれる存在になりました。今回はそんな、嫌い、とは何なのか、ということについて言葉にして投稿しました。
– 嫌い、とは何なのか –
前回の投稿で、好きと嫌いは同じものからできている、と書きました。好きという感情はいくらでも眺めていたりできるけれど、嫌いという感情は見たくもないし、考えたくもない人も多いのでは。例えば、好きな人とはずっと一緒にいたいけれど、嫌いな人とは道端で出逢うのも嫌だし、今で言えばSNSで見かけるのも嫌なものかも。それなのに、同じ「 興味がある 」から派生したものだなんて。
ちなみに、好きという感情は自分が持っている要素の、好きな部分を投影された時に生まれます。つまり、好きな人の好きな部分をあげるとそれは、自分が持っている要素の好きな部分だったり。その部分を活かしているのか、という、違いはあるかもしれませんが、掘り下げてみると同じ要素にいき着きます。つまり、自分自身に対して「 好き 」と思っているのと同じです。
逆に、嫌いという感情は自分が持っている要素の、嫌いな部分を投影された時に生まれます。つまり、嫌いな人の嫌いな部分が、自分自身の見たくない嫌なところということです。それなので、その部分から目を逸らしたいから、嫌いな人全体を嫌っているように思い込みもします。でも、人格そのものを嫌えるほどその人を知ることはできないので、嫌いな部分をあげてみると、そんなにないのではないでしょうか。
ということで、嫌いとは自分の嫌いな部分の投影です。しかもそれは、表面的な部分ではなく、その奥か、さらに奥の欲求や執着などの部分です。それがわかってからは、人を嫌うことは無くなったし、人から嫌われることもほぼ、問題がなくなりました。無駄に否定されたり攻撃されたりなど、めんどくさいことはありますが、どちらにしても「 興味がある 」ということには変わりがありません。
嫌い、とはそういうものだと僕は思っています。そして嫌いという感情は、フラットな自分で真っ直ぐに目を向けることができれば、自分と仲直りをするためのヒントをくれます。ただ、目を向けたいと思える分だけにしておくのをお勧めします。対極に目を向けることで得られる世界の広がりは、自分の心をとても楽にしてくれるものだけれど、今の時代は特に、愉しむことが必要なので。
[ くらしのタネ #020 ]
嫌いとは、自分自身の嫌いな部分の投影。
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おわり
※ この記事は 2019 年 1 月 3 日に投稿したものを加筆、修正して 2021 年 6 月 9 日に再投稿しました。
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1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile