– 旅先からの、友への便り。-
– 手を放す、軽くなる、満ちてゆく –
白露 二〇二四年九月七日〜九月二十一日
九月の半ば頃にかけて、自分が心から望む関係性について考える機会をもらいました。自分としては、信用ではなく信頼がいいし、期待でもなく信頼がいいなと思います。互いが、何をしているのかではなく、どう在ろうとしているのかを大切にして、言動だけでなく存在を承認し合って。そして、落ち込んだ時や上手くいっていない時にこそ、共に過ごすことができる関係性がいいな、と思いました。
貴方とはそんな関係性でいたいと願います。けれどもそれは、相手に望むものではなく、自分自身が率先してそう在ることだと。人との関わりは時に、上手くいかないこともあるけれど、そんな時ほどしっかりと、自分が進みたい道を示してくれるものですね。以前に比べ、そんな時に生まれるネガティブな感情と仲良くできるようになったことは、旅する暮らしを始めてよかったことの一つです。
とはいえ、いつまで経っても、ネガティブな感情を抱くこと自体は嬉しいことではありません。それでも、明確なメッセージを与えてくれる大切なシグナルだと思っています。自分が本当にやりたいこととのズレや、本当に欲していることなど、とても大切なことを教えてくれます。僕はとても怖がりで、すぐに怒りを抱いてしまうので尚更でした。そんな弱さも含め、自分自身と仲良く旅ができればいいなと思います。
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しかし、心に引っ掛かりがある時には創造的な作業は手が進まないものですね。言葉を綴ることや写真の編集などの作業が、見事に滞ってしまって。精神的に強くない自分には、よくあることではありますが。ちょうど去年のこの時期にも同じく、調子を落としていました。蝕の季節は得意ではない印象があります。自分と向かい合う必要があるから目を向けることになるのでしょうけれど、しんどいのを愉しいとはまだ思うことができません。
大切なことに目を向けるための機会だとしても、めんどくさいものはめんどくさいのです。めんどくさいと感じた時には、「 世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ 」という、宮崎駿氏の言葉が頭に浮かびます。そういえば、本当に大切なことって何なのでしょうね。自然から離れ、大地から離れ始めている僕らはきっと、本当に大切なことを忘れてしまっているのだろうなと思えてしまいます。
まだまだ自分と向かい合う日々は続いていますが、今の僕には解き放たれた感覚もありまして。この一、二年、とても頑張っていたんだなぁと。役に立てていたならいいな。しかし、その最中には見事にわからないものですね。不自由ではなかったけれども、自由でもなかった。ふり返ればそう思えます。それなので、自由は不自由なのだと改めて思いました。ちなみに僕は、自らに由ることが自由だと考えています。
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だからこそ、自分が自分のままでいられる、相手が相手のままでいられる、そんな関係性が望ましいと思えたのかもしれません。この世では想像以上に、従順であることを求められ、従順であることを望んでいるようですね。それは、都会に行けば行くほどに実感します。組織を継続するためには、社会システムを維持するためには必要な要素、だということなのでしょうか。
それは、田舎の村八分を怖れる心理とはまた違った、資本主義から生まれた感覚なのだと思っています。何でも金で解決し、人の暮らしを質にして支配する世界。それをみんなで創っていて。コロナ禍以降で特に、それを実感しました。真面目ではなく従順なのだと。もちろん僕もその一員です。今の社会を維持するための一役を担ってしまっています。それに、彼らはどうあっても僕自身でもあります。
しかし、給料は麻薬という言葉はお見事ですね。男性性の社会で培われた、人を支配するための手段の一つですか。何故か、金を払ってる側が偉くなってしまう勘違いもありますし。対等な関係性で、互いの想いを尊重し合いながら、互いの今を、未来を、応援し合う。僕は相変わらず、甘っちょろい戯言のような状況が好きなのだなぁ。けれども、そんな戯言も、現実になってしまえば戯言ではなくなるので。
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他にも、旅する暮らしを始めてよかったことを挙げるとしたら、終わりの練習ができていることですね。旅にはいつも旅立ちの日があって、その日以降の僕は、そのまちに居ない人です。例えば旅立ちの翌日、みんなで晩ご飯を食べる予定があっても、自分はその場には居られません。羨ましいし、寂しいし、とても後ろ髪ひかれます。それに、自分自身が必要とされたい思いも昔はあったりして。
けれども今は、自分が居ない場でみんなが愉しそうに、幸せそうに過ごしていることを、素直に喜べる自分になれました。それに、自分がその場に居なくても大丈夫なことを、素直に喜ぶことができています。何度も旅立ちを繰り返したことで、いつの間にか得ることができた感覚なのだと思っています。自分への信頼、相手への信頼、世界への信頼、タイミングへの信頼。言葉で言えばそんなところでしょうか。
僕らにはいつか、終わりを迎える日が来ます。胸を張ってその日を迎えられるよう、その時に自分が居る場所で、心が躍ることを愉しみながら。時に精一杯、時にのんびりゆったりと。頑張ったらうまくいかない時代の感覚はまだ掴めていませんが、とにかく今を愉しむこと、それに限るのだとは思っています。そんな風に今を愉しめる自分へ。そのための練習を続けることができています。
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そんな旅する暮らしも、おかげさまで丸十二年を迎えることができました。本当に、ありがとうございます。これまでたくさんの人に応援してもらい、助けてもらったことで、こうして無事に生き続けることができました。交通手段や寝床や食事、応援や否定的な言葉も含め、今の僕であるために必要な要素をいただいて。次の旅立ちから更に、感謝を伝えたり恩送りをしながら日本を回ることができると嬉しいです。
旅も人生も、手を放した分だけ軽くなり、軽くなった分だけ満ちてゆくのですね。僕にとってバックパックに入る分が、僕の暮らしの道具でした。それに、人との関わりもタイミングも、ご縁に委ねるしかなくて。そんな中で執着や思い込みを手放せた分、目に留まるものも変わり、幸せ感度も高まったように思います。やっぱり幸せは、そこにあるものでした。だからまずは、あるものに目を向けること、からだと。
他にも、いくつもの大切なことを教わりながら、旅は続いてきました。そして、これからもです。そんな最中で得た、自分が心から望む関係性を考える機会。今はもう少し、そこに目を向けてみます。それはきっと、自分自身との関係性でもあるので。そうやって自分との関係性を高め、自分らと思える人たちとの関係性も高めて、自分らと思える関係性を広げていけると嬉しいです。
おわり
” 「 旅の途中の 」では、旅先から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。僕の、旅する暮らしの中で起きる些細な出来事を通じて、ほっとひと息ついてもらえたら幸いです。”
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これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO
1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile