– COBAKEN のひとりごと。-
とある作業の中で2014年のブログを確認していると、ある記事が目に留まりました。
旅する暮らしを続けている中でのとある日、ファシリテーターをしている時にやっていることは日常でも行うし、日常でできないことはファシリテーターをやっている時にもやらないようにしよう、とふと思いつきまして。
これはドランゴンボールの、確かセルとの戦いの前、悟空と悟飯が精神と時の部屋での修行を経てやっていた、常にスーパーサイヤ人でいることで、スーパーサイヤ人になった時に起こる興奮状態をなくす、と同じイメージだと自分では思っています。
その思いつきを実行してみた結果、毎日を過ごすのも楽になったし、ファシリテーターをする時も、より場を信頼できて、とても穏やかに場を楽にし、促すことができるようになりました。
僕らが今生きているのは、対話の時代です。議論や戦争の時代から、対話の時代へと移行しました。しかも今は、表現者の時代でもあります。
それらがどう違うのか、それを簡単に、僕なりの認識で説明しておきます。
まず、議論の時代は、白か黒かを求める時代で、正しいの反対に間違いがある、正義の反対は悪、といった構図です。一方、対話の時代では、白もあれば黒もある、といった時代で、正しさの反対に正しさがあり、正義の反対に正義がある、といった構図になります。
議論の時代では白か黒なので、議論を白として、議論の目的である、結論を出す、ことがまるで当たり前かのように、人とコミュニケーションをとることが多かったと思います。
では、対話の時代では対話だけになるのでしょうか。
答えはノーです。
対話の時代だから対話だけになると考えてしまうのは、議論の時代の白か黒かの考え方であって、対話の時代のものではありません。対話の時代では、その対極の存在である議論も大切にされます。対極あってのこの世界なので。
白もあれば黒もある、といったように、その時の目的に合わせて使い分けるようになるのです。だって僕らは、常に何らかのカタチで関わりあって生きているから、みんなで何かを決めることはなくなりません。ただし、これまでとそのやり方は変わっていきます。
例えば、対話の時代の話し合いでは、話し合いの目的となる内容の議論に入る前にまず、話し合いの参加者全員で対話をすることから始まります。
その内容は、それぞれの想いを共有すること、そして、議論したい内容の判断基準を明確にすることで、皆がその基準に合意できるまでを対話します。そうやって明確になった判断基準で目的となる内容の議論を行えば、これまでのような納得のいかない会議は無くなっていくでしょう。
もし、それでも納得がいかないのであれば、それは対話の時に合意した、判断基準の解釈や相互理解の浅さなど、話し合いのプロセスに問題があるのであって、誰かが悪い、のではありません。
そんな対話の時代を生きるには、判断を保留すること、がとても大切で、それができるととても楽に生きることができるでしょうね。
判断を保留すること、これは僕がこれまで、ファシリテーションを行う上で何が1番大切ですか?と訊かれた時に、必ず答えていることです。でもそれは、ファシリテーターだけでなく、対話の時代を生きるために誰もができるのに越したことはない、そんな大切なことです。
人は判断する生き物だから、判断をしない、のではありません。判断をしてはいけない、のでもありません。ここが大事なポイントです。判断を保留する、ということは、反射的に頭に浮かんだ判断をそのまま受け止めてから保留する、ということです。
人が判断する基準は自分で勝手につくった自分の基準なので、目の前の相手の持つ基準とは違います。その違いは、対話の目的である探求や発見を促してくれるとても大切なものなのですが、まだまだ議論の時代の名残もあって、人に自分の基準を押しつける人が多いです。それも、自覚せずに。
それなので、「 それは違うだろー 」って瞬間的に思ったとしても、「 自分は違うっ、て自分は思うのか 」と、そのままを受け止めて保留し、目の前の相手がどうしてそう考えるのか、その理由にフォーカスし直して話を聴きます。
話を聴いている時、こちらからすれば相手の言動の向こうに感情があり、感情の向こうに欲求があり、その欲求に動かされて人は生きています。だから、その部分にフォーカスし、相手が本当にわかってほしい部分に触れることで、共感し合いながらのコミュニケーションをとることができます。
そして自分も、目の前の相手と築きたい、理想な関係性を大切にしながら、これまた判断を保留して自分の言葉を発します。私は、という主語を大切にして、こう伝えなければならない、とか、こう伝えるべき、とか、自分の思い込みは同じように保留して、自分の想いを素直に伝えます。
とにかく、判断を保留する、ということは、対話の時代においてとても大切なことです。そんな大切なことを行うには、違いを受け容れられる心の余裕が必要です。自分の心の状態もそうですし、時間の余裕もそこには関わってきます。
結局のところ、自分の心や暮らし方を整えないと、判断を保留する、ということは難しいことです。対話の時代なのでそれが絶対、というわけではありませんが、時間に追われながらも一生懸命働くことを大切にする時代から、穏やかな時間の中で心を整えることも大切にする時代になりました。
そのどちらかではなく、両方をです。
そんな時代は、自分がどうしたいのか、どんな自分で在りたいのか、個々が自分の想い基準に判断する時代でもあります。表現者の時代ですから。
それを自分の問いとして、人とコミュニケーションをとり、時に対話をし、時に議論をして、在りたい姿に自分オペースで近づいていきます。そうしていると、目の前にいる人と自分との違いは、その問いをより深めることに協力してくれますし、他にもたくさんの気づきを与えてくれます。
今は、そんな時代になりました。
今回は、ふと目に留まった自分の投稿から浮かんだことをまとめて投稿してみました。正直、判断を保留することは簡単なことではありません。でも、それが習慣になった時には、とても簡単なことだった、ということに気づけます。
よかったらあなたも、判断を保留すること、を習慣化してみませんか?
対話の時代を心穏やかに生きるための大切な要素だと思うので。
下記は、判断を保留すること、をテーマにした対話を促すための資料です。当時の僕の体験から紡がれた言葉を綴っているので、よかったら、判断を保留する、ということが、あなたにとってはどういうことなのか、それを考えるきっかけとして活用してみてください。
Dのこと。No.10 判断を保留すること Ver.1.0 / 2014.10.29
PDFデータ ⇒ DS – No.10 判断を保留すること Ver.1.0 –
その他の資料は、下記のリンク先にあるので自由にご覧ください。
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↑ Dのこと。資料一覧はこちらから
おわり
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これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO
1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile