– 旅先からの、友への便り。-
– ごくごく自然に、日常に –
立冬 二〇二四年十一月七日〜十一月二十一日
今年もまた、暦の上では冬を迎えることとなりました。盛岡では実際に、体感的にも冬に向かっています。最低気温も0度前後になり、日中に10度に満たない日も出てきて。今はもう、ダウンベストとネックウォーマーは標準装備です。年を重ねたこともあり、温かくすることに意識がいくようにもなりました。それでも午後や夜にストーブを点けずに過ごしていると、腕を刺激する寒さを感じます。
そういえば先月末以来、お酒を呑まない日々が続いていて。思い返せば昨年のこの頃も、ノンアルコールで過ごしていました。アルコールを完全に抜くためには72時間必要という話を聴いて以来、季節ごとの土用には最低三日間、お酒を呑まない日を設けるようにしています。今回の秋土用では二度目の休肝日で、その期間が延びたという感覚です。風呂上がりに強炭酸水を飲んで、充分に満足しています。
今年の冬至までの期間も、感情や思考なども含めた、自分にとって不要なものを手放して、真ん中に戻るための時期なのかもしれません。そのためにも、肝臓はアルコール以外のものを手放すために働いてもらう必要があったのかも。それなのに、夜にだらだらと動画を眺めてみたり。早く眠ればいいのに、つい。そんな風に自分の想いに沿いながら、マイペースに日々を過ごしているところです。
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先日、三男と一緒に、友人の演奏会にお邪魔しました。絵の展示期間中の演奏会で、会場は時が重ねられた喫茶店です。十名ちょっとの、こぢんまりとした演奏会でした。演奏会として彼の演奏を聴くのは初めてで、街の中の、趣のある空間でそれを聴いていても、彼らの家の、自然の中に溶け込んだ風景が頭に浮かんできます。あの場所で生まれて、あの場所で奏られた音だから、ということなのでしょうか。
そして、演奏会が終わった店内で静かに展示を眺めていました。自分にとってはですが、あの時の演奏は日常に溶け込む音であり、店内に展示された絵も日常に溶け込む色であり。ごくごく自然で、当たり前にそこにあるような、そんな感覚を得ました。個人的には、そういうものが好きです。それなので、自分が創り出すものもそんな風に、ごくごく自然に、日常に溶け込むものであるといいなと思います。
あと、その時に思いがけず、演奏会に来られていた方から、うれしい一言をいただきました。かれこれ二十年以上ブログを続けているくせに、言葉を綴ることを得意ではないと思う僕にとって、とても嬉しい言葉でした。そんな風に受け取ってくれる人がいるなんて。後日、写真を額装し、ブログの言葉を綴りました。見事に、演奏会に背中を押してもらったのです。とてもよい場だった、という証なのだと思います。
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あと、この節気では、三男に対して腹が立つことが続きました。同じことを何度も伝える状況に腹が立ちまして。はい、と言うならばやる。やらないのであれば、はい、という返事も、反省したというのも嘘になる。ただ、子は親を映し出す鏡です。つまりそれは、自分に腹を立てているということ。それに、叱り方を考える必要性を感じました。罰をもってではなく、互いによりよき未来を見据えるような。
怖れではなく、望みに焦点を合わせること。無いものではなく、あるものに目を向けること。怖れが肥大化するとつい、そのことを忘れてしまいます。三男にとっても自分にとっても、自分の人生を生きるために機会を活かせたらいいな。必要がある時には、そこにある可能性を信頼して叱り、触れていることにも気がつけないほどに優しく、相手の背中を押せるような、そんな関わり方ができると嬉しいです。
そんな出来事を経た結果なのか、今はまた一からやり直す必要があるのだと感じました。時代の転換期だからなのか、たまたまなのかはわかりませんが。仮にすべてを手放したとしても、0になることはありません。ただ、再構築する必要があるのだと思います。来世でもやりたいと思えることは続けて、それ以外のことは手放して。何となくですが、守る、という言葉が僕にとっての今後の鍵となりそうです。
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そして、そんな日々の中で、長年の欲求のズレに対する修正が行えていないことに気がつけました。これまでコミュニケーションを学び続けたことで、人を理解し切ることはできない、ということは理解できたのです。自分としては、それを前提としつつ、それでも相手を解ろうすること、かと。けれども、相手も自分を理解し切ることはできないと、相手側の前提を書き換えることを忘れていました。
そのおかげで、わかって欲しい、というズレた欲求が未だに怒りを生み出すことがありました。例えば、三男に何度も何度も同じことを伝える状況が生まれたことで、自分はわかってもらえない、という思い込みが刺激され続けたように。自分には、わかって欲しい、わかりたいと、理解することに関する欲求のズレが、他責と自責の両方向にありました。この要素が一番、僕の人生を拗らせてきたように思います。
この気づきでまた、理解する、という欲求のズレを手放すことができたのではないかなと思っています。冥王星が水瓶座に戻る前の、最終確認だったのかなぁ。最近は、一粒万倍日を意識するようになったのですが、そのおかげで改めて、日々の一粒を大切にすることの重要さを実感しました。普段から種は、何倍にも何十倍にもなって、僕らに実りを与えてくれます。結局は、日々の積み重ねということですね。
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11月の下旬に入ってすぐ、風呂上がりに、三男の弁当に入れるためのゼリーを買いに、最寄りのスーパーに向かった日がありました。思いがけぬ、夜の散歩です。気温はもう0度に近かったので、一番分厚い上着を着て出かけました。空気が冷えた分、星がきれいで。音も、暗闇に吸い込まれたかのように静かでした。この空の中で土星が逆行を終え、牡牛座で満月を迎えて。そして、冥王星が水瓶座に戻って。
冥王星が水瓶座に戻った頃、変化の到来を告げるようなニュースがいくつか流れてきました。最初の水瓶座入りから一年八ヶ月。ふり返ってみると、あっという間ではありました。そんなタイミングで、ウクライナからロシアにミサイルが発射されたという記事を見かけました。前時代で得た何かに執着している人たちは、変化に対して必死に抵抗することになるのかもしれません。そんな抵抗は不要なのですが。
とにかく、大切な人たちが生きているこの世が平和だといいなと思うのです。そのためにも、自分の内側で起きている争いを止めることかと。誰かではなく、まずは自分自身の内側の。そして、細やかながらも経世済民のための動きがとれたら、とも思います。そこに関わる人たちの暮らしを、共によりよくして。今も変わらずこんな心境でいます。そんな未来が当たり前になることを心から信頼して。
おわり
” 「 旅の途中の 」では、旅先から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。僕の、旅する暮らしの中で起きる些細な出来事を通じて、ほっとひと息ついてもらえたら幸いです。”
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これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO
1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile