– 旅先からの、友への便り。-
– たゆたえども沈まず –
霜降 二〇二四年十月二十三日〜十一月六日
山では初霜がおりる季節とされる霜降。この節気を終えると、暦の上では冬を迎えることになります。盛岡も、日に日に朝晩が冷えています。けれども日中は暖かく、不思議な気候だなと年々思う、この頃です。秋が好きな自分としては寂しい気分なのです。サンダルの出番が少なくて。けれども、南や西日本の話を聞けば、半袖でも過ごせる気候だと。小さな島国だと習ってきましたが、日本も広いものですね。
そうやって冬に向かっていることを感じながら、今も盛岡の家で過ごしています。幸いまだ、ストーブを点けたのは一日のみで、コタツで足元を温める程度で我が家は大丈夫です。こんな早い時期にストーブを点けたり毛布を出したりしたら、真冬はどう過ごすのだろうかと毎年考えてしまいますが、年を重ねて身体が冷えやすくなったのもあり、今年は早めに毛布を出すことに決めました。温かいとほっとします。
そういえば昨年からとうとう、眠る時に湯たんぽを使うようになりました。以前は足が熱くて嫌だったのに。年を重ねたなぁ。今期の登場はいつ頃になるのでしょうか。次は十一月の中頃に旅立てるといいなと思っていますが、盛岡に戻ってからになるのか、もしくはこのまま盛岡の家で過ごすことになるのか。今はただタイミングを信頼して、この大きな時代の変化をその時々の居場所で味わうことにします。
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盛岡の家では、僕が晩ごはんの準備をすることが多いです。妻は喫茶店のお手伝いやお菓子を焼いたりで忙しく、僕は基本家に居るので。とはいえ、大したものは作れませんが。自分としては、分づき米、もしくは玄米と、具沢山の味噌汁があれば充分なのです。七歳になった三男のために何か、おかずとなるものを準備して。僕よりだいぶ若い妻にも時折、心身を満たしてくれるおかずが必要みたいです。
友人たちが作ってくれた野菜や地元の野菜を、シンプルに焼いたり、味噌汁の具材として使ったり。近年は土鍋が出っ放しで、毎日具沢山の味噌汁を作ってくれています。和風だし、鶏ガラ、野菜ブイヨンなどで、味付けに変化を加えながら。時にスパイスを入れたりもして。僕の勝手なイメージは日本昔ばなしの、囲炉裏にかかった鍋から何度も汁をお代わりする感じで、毎日味噌汁を拵えています。
ある休みの日、驚くほど早く晩ごはんを食べ終えた時がありました。そのままの流れでお風呂に入り、思いつきで居間や台所の電気を消して蝋燭に火を灯し、バータイムと称した時間を過ごしました。ちょうど三男と、とある出来事をふり返る必要があったので。僕はウィスキーを、妻と三男はお茶やジュースを。とてもいい時間になりました。三男はその時間を気に入ってくれたみたいで、今でも時折行っています。
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そういえば、この節気を迎えた頃から、すこぶる眠い日が続いていました。新月や満月のものとは違う眠気が、僕も妻も三男も続いていて。何か、変容の機会だったのかと思えるほどに。自分が激しく眠い時は、混沌状態になっているか、新月や満月の前後か。結局のところ、それが何だったのか僕にはわかりません。それなので、自分らに必要な出来事だったと、いつものように思うだけなのです。
三男には身体の痒みもあって余計に、思うようには眠れず、学校を休む日が続きもしました。結果的にですが、学校を休む、という出来事もまた、親という存在に問いを与えてくれるものです。ちなみに、僕にとって学校は、何の問題もなく行けるのであれば行った方がよいとは思いますが、無理して行く場所ではない、と思っています。ただ、僕が盛岡に居ない時に急に休むことになれば、困るのも確かです。
確か、十月最後の日、嘘かと思えるほどに、眠くだるい感覚がどこかにいきました。そんな頃、無性に窓の外に緑が見える場所に行きたい気持ちが続いていて。それもあって、公園の、芝生広場に面しているカフェをノマド場所に選びました。ささやかだけれど、自分の望みを叶えることはどこか、バランスが整う感覚がありますね。望む自分と叶える自分との折り合いがつくからなのでしょうか。
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あと、贈与の循環の試みに関する投稿を終えたことが、僕にとっての明確な一区切りを与えてくれました。書こう書こうと思いつつも、ずっと書けなかった投稿のひとつなので。特にこの5年の、自分の体験から得たことをそれなりに言葉にできたことで、次への道標がほんのり見えた気がしています。何にせよ変わらず、自ずから巡らせ続けることだなと思います。この先では広がりも意識しながら。
もう少し具体的にいえば、事の本質に目を向けつつ、質を高めながら、自ずから巡らせ続けることだと思っています。無心に巡らせ続けるのもいいのかもしれませんが、今の自分には「 質を高める 」ということが鍵になりそうな気がしていて。それは贈与の循環だけでなく、自分にとっての、何においても大切にすることだと思えました。そんな、自分の根っことなるであろう部分に触れられるのも嬉しいです。
そして、自分の体験を言葉にして誰かに伝え続けることも、この先では必要だと思えました。自分のためにも、広がりを生むためにも。助け、助けられる世界がさらに広がると嬉しいです。そんなタイミングでちょうど、「入口は広く低く、出口は高く浄化されていなければならない。」 という宮崎駿さんの言葉にも出逢えました。入りやすい入口をつくることは僕にとって、長年の課題でもあるのです。
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秋土用の最後の日の朝は、起きてからの空気が冷たくて。ストーブを点けてもいいなと思えるほどにです。曇りなのもあって余計に、そんな体感温度でした。翌日、暦の上での冬を迎えたわけですが、きちんと冬に向かっていることを実感します。またあの白い世界に包まれる季節がやってくるのですね。岩手の冬は、竹原では味わったことのないもので、未だに心が躍ってしまいます。
その少し前から、喉に違和感を感じ始めました。三男から風邪をもらったのだと思います。幸い、熱が出ることもなく終わりました。ちょうどその少し前から、お酒を呑まなくもなりました。風呂上がりに炭酸水を飲んで、喉ごしの感覚を味わうだけで充分な自分もいます。また機会があれば、もちろん呑みますが。今回はいつまで休肝することになるのでしょうね。
そんな感じで自分を整えつつ、マイペースに過ごしています。家で過ごすだけでも時折、大きな風が吹いて心を揺らしてくれることもありますが、それもまた、自分と向かい合うための大切な機会なのでしょう。そんな機会をふり返りながら料理をしたり、掃除をしたり。淡々と行う家事は、瞑想しているようなものです。そうやって日々を生きることで自然と整っていく。この世は本当にうまく出来ています。
おわり
” 「 旅の途中の 」では、旅先から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。僕の、旅する暮らしの中で起きる些細な出来事を通じて、ほっとひと息ついてもらえたら幸いです。”
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これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO
1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile