はじまりの唄。| 旅の途中の #026



Ver.1.0.0



– 旅先からの、友への便り。-






– はじまりの唄 –


雨水 二〇二五年二月十八日〜三月四日




 僕は変わらず、盛岡で過ごしています。立春を迎えてからの方が何となく、冬を感じる機会が増しているような気もして。確かに一番寒い時期ではありますが、雪を見た回数増えたからかなぁ。ある朝、妻を送った帰りに水を汲みにいくと、湯気が立ち上っていました。土の中は温かいのですね。水を汲んだ時にいつも、容器越しにほんのりと伝わる温かさにほっこりさせてもらっています。


それでも、春へと向かっていることを感じられる要素は幾つかあります。例えば、台所の窓際で育っている赤蕪の頭から生えた菜が、花を咲かせてくれました。渡り鳥の群れを見かけることも増えましたし。こうやって季節は移ろいでゆくのですね。些細な変化が積み重なって、いつしか季節が変わったことを実感して。旅が得意ではない僕は、そういう変化に目を向けられなかったのだなと、今では思えます。


12年も旅する暮らしを続けてきた今は流石に、目の前の変化を素直に眺められるようになりました。以前の自分と比べて、ではありますが。些細な変化に喜びを感じ、自分の心の動きを素直に受け取って。場所を移動することが旅ではないのだと、移動を繰り返してきた月日が教えてくれました。移動がある方が、普段とは違う場所に行く方が旅をしやすいから、だから人は旅に行くのだと。


*


 雨水を迎える少し前、天気のいい日があったので、三男と散歩に出かけました。久しぶりに北上川の土手へ向かい、岩手山や雪に埋もれた土手、沈み始めた太陽などを眺めながら歩きました。最後にスーパーに寄って戻る、1時間弱の散歩でした。二月中には竹原に戻る必要がある自分としては、今回の滞在中に三男とこんな風に歩ける機会は最後かもと思いながら、何でもないけれども大切な時間を過ごしました。


散歩から戻り、妻を迎えに行くには、ほんの15分ほど時間が早かったので一度家の中に入ると、ものすごく疲れと眠気を感じて。そういえば、盛岡に戻ってからは車に乗るか引きこもってばかりで、ほとんど歩いていなかったなぁと、自分の身体の今を実感することになりました。このあと久しぶりに、バックパックを背負った移動が待っているのに、これでは少ししか歩くことができそうにありません。


それは逆に、盛岡の家で長い時間を過ごし、心身を休ませてもらった証でもあります。家事や自分の作業はしていましたが、旅先や対話の時間に使うエネルギーに比べると微々たるもので。九月に盛岡に戻って少し経った頃、これまでよく頑張ってきたのだなと実感した時もありました。特に、一昨年から去年にかけて、自分とのズレを感じる日々が続き、葛藤していた時間も長くありましたし。


*


 それはそれで、とても大切な学びです。それに、立春を迎える頃から少しずつふり返っている、この12年間の旅する暮らしの中にも、たくさんの学びがありました。まだまだ、いくらでも出てくるのだと思います。そのふり返りを通じて今の自分を確認したいし、新たな12年のサイクルにどんな種を蒔くのか、参考にしたいので。詳しくはまた、まとめてから投稿するつもりでいます。


そんな日々の中、自分の情けなさや不甲斐なさを実感しているところです。僕は見事なまでに凡人なのです。今の自分にできることは何なのか、見失ってしまっている感もありながら。けれども、何かはあるのだと思うのです。きっと。今の自分にできることも、今の自分だからできることも、今の自分にしかできないことも。ある、ということだけはわかっています。


それに、情けないと思いながらも生きられているということは、自分の周りに情けがあるということです。それはとても有り難いこと。いつもいつも人に助けられながら、おかげさまでこうして、生きることができています。スキナトキニ、スキナコトヲ、スキナトコロデ。そんな合言葉が虚しく響いてしまいますが。竹原に向けて早く旅立ちたいけれど、本当は旅立ちたくはないのかもしれません。


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 それでも明日には盛岡を出発して、9月以来の移動を始めます。それと同時に、色んなことが動き出す気がしています。新しい時代が着々と形を表そうとしている中、自分ができることなんて高が知れていますが、それでも旅や対話を通じて目の前の誰かや、世の中の役に立てると嬉しいなと思うのです。何をするにしても僕は、旅や対話が大前提であり、目の前の誰かや自分の人生を促すことを続けていたいので。


そして、一人では辿り着けないその先へ向かって歩んでいけたらいいなと思います。自分自身や相手を信頼し、タイミングを信頼して、僕一人でも相手一人でも辿り着けない、そんな景色を眺められるよう、自分との仲直りを進めていけると嬉しいです。今の自分にできることはよくわかりませんが、やりたいことは相変わらず明確なのです。それなので、やってみるしかありません。


何にせよ、胸を張ってこの世を去れると嬉しいです。それが明日なのか、100歳を迎えてなのか、いつになるのかはわかりませんが。だからこそ、胸を張って今日を終えること。悔いが残らないように。自分に素直に、正直に。タイミングを信頼しながら。結局ね、どんなに情けない自分であろうとも、自分が心から望む状態に向かって、今の自分にできることを淡々とやる以外ないのですね。


*


 今日はちょうど一粒万倍日でした。そんな日にこんな便りを書いて、この便りを通じて蒔いた種がどんな風に芽を出し、育ってくれるのか愉しみですね。それだけではなく、これから三年くらいかけて色んな種を蒔いていきます。その土壌や環境に合った種が芽を出してゆくわけです。12年前とは時代も変わりました。変わらないこともたくさんありますが、出てくる芽も変わってくるのでしょう。


そんなことを書いていて実感したのですが、僕はやっぱり愉しみなのですね。この先の時代や世界を愉しみにしている自分がいるようです。今は動き出す前で億劫だし、安心の空間から出ることが面倒臭いのかな。他にも必然性があって今日まで盛岡で過ごしてきたのです。やっぱり自分にとって、二拠点生活は大事なのでしょうね。自分の中にある微々たる創造性を、高めてくれているのかも。


サンフレッチェ広島の今季も始まり、試合を観戦する予定が入るようになりました。すでに5試合、これまで順調に勝ちを積み重ねてきています。そんなことも含めて、この1年が始まってきています。そして明日の旅立ちで更に、何かが始まるのだと思います。いつも通り、根拠のない確信でしかありませんが。けれどもそんな確信が、いつも背中を押してくれました。きっとこれからも。いつもありがとう。




2025/01/11 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/01/11 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/01/16 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi






おわり




” 「 旅の途中の 」では、旅先から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。そんな便りの中で僕の、日々の些細な出来事を通じた気づきを貴方に共有させてください。それが結果的に、互いが生きる日々にとって、より佳きものになれば幸いです。”




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スキナトキニ
スキナコトヲ
スキナトコロデ

これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。




最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。



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