【 ひとりごと。#036 】僕がお金を持つと、価値と価値との交換をしてもらえなくなるのか、どうか。


Ver.1.0.1



– COBAKEN のひとりごと。-


「 どうしてお金を手にしない自分でいるのだろう。」


そんなことをダイアログしていた時、ふと頭に浮かんできたことがある。それが今回のタイトルのきっかけである「 僕がお金を持つと、価値と価値との交換をしてもらえなくなるのでは 」という言葉。そう考えると、自分がお金を持つことが怖くなってくる。


自分が手元にお金を招かないのは、もしかしたらこの思い込みが原因なのかもしれない。





この思い込みが私の中に生まれた経緯をふり返ってみると、15 年以上もお金を使わずに生活している、というドイツのハイデマリー・シュヴァルマーさんの存在を 2012 年の春に知ったことからはじまる。それはとても興味深く、自分でもやってみたい、という衝動に駆られる。でもその時は特に何もできず、そのまま既存経済の中で過ごしていた。


「お金を使わない生活」を15年以上続けるドイツ人女性
https://note.mu/tokotonstudio/n/n40013901986e


そして、旅人生活をはじめるきっかけが突然やってきた。その生活の中でどう稼ぐのか、それを模索しながら旅人生活ははじまった。最初は持っていたお金も使いながら旅を続けていたのだが、一向に収入は増えず、出費ばかりが募っていく。そして通帳残高が見る見る減ってきたその頃、ふとハイデマリー・シュヴァルマーさんのことを思い出し、「 自分もお金を使わずに生きてみたい。」と考えはじめた。




時間は今に近づいて、去年ある日、広島の大切な友人のひとりであるボブが、私がすっかり忘れてしまっていたことを思い出させてくれた。


「 この人、前に「 目の前がもし焼け野原になったとして、どうやって生きていく?どうやって食べるものを得る? 」って僕に質問してきたんですけど、今、ほんとにお金を使わずに生きるってことを、実際にやりながら旅をしているんです。」


とあるお店に連れて行ってくれた時に、店主にそう紹介してくれた。私はすっかりそのことを忘れてしまっていたのだが、そう、もしお金の価値がなくなった時、どうやって生きていくのか、どうやって食べ物を得るのか、それを考えていた頃があった。

だから、ハイデマリー・シュヴァルマーさんの生き方にとても興味を持ち、自分も体験してみたい、と思うようになったのだ。私は、学ぶためには体験する必要がある。苦しみも歓びも踏まえて体験することで学ぶ。だから体験したことのないことの知識を詰め込み、机上の空論をどれだけ並べてもほとんど覚えていない。むしろ、その状態で考えることもできない。


そんな過程を経て、お金を持たずに旅をしている、という方が面白いのではないか、という思いも生まれてきた。実際、その方が食いつきはいい。どうやったらそんな生活ができるんだろう、と興味を持ってもらえる。そうなると公式サイトのアクセスや実際にあってダイアログしたい、という人も増えるだろう。

そんないやらしい計算もその過程で当たり前のように生まれてきた。それ自体が良いとか悪いとかではないが、いやらしい計算をする、ということが、自分の在りたい姿から外れる、という問題がある。今でこそ、そんな浅はかな考えを手放すことができたが、当時は当時で必死に、どうやったらうまくいくか、それを必死に模索していたのだ。


これが今、ふり返って目を向けてみた「 僕がお金を持つと、価値と価値との交換をしてもらえなくなる 」という思い込みが生まれた流れで、その向こうに私がこんな思い込みを持つようになった原因がある。それはきっと、自分に対する自信の無さ、だ。どうも私は、自信がない、自分という存在に対して価値を感じることができない、自分は生きる価値がない、という人生を過ごしてきた。

だから、お金を持っていないから僕のことを応援してくれるのではないか。だから、お金を持っていないから僕と価値を交換してくれるのではないか。そんな風に、自分の自信のなさを埋めるために、お金がない方が交換してもらいやすい、という自分にとって都合の良い、そんな心の状態をつくり出すことにつながったのかもしれない。


こう考えると、思い込みなんて自分が勝手につくり出しているもので、自分に都合の良いように自由につくり出せる。だから、自由に解消することもできる。ただ、それが思い込みだとわかるまでは、無意識に自分を蔑みながら毎日を過ごし、さらに、それによって「 自分は物乞いなのか。」という問いかけが続く時期もあった。


「 お金がないから恵んでもらっている。」


価値と価値との交換を続けていく過程で、そんな自分も受け入れよう、私は社会のヒモなのか、そんな言葉が私の中を巡り、結果、私のプライドはボロボロになっていった。そのおかげで手にしたこともある。自分が成し遂げたいことの邪魔になるプライドなんていくらでも折れてしまえばいい、そんな視点から考えれば、見事なくらいに結果オーライなのだ。

でも、誇りは折れずに、きちんと私の中に残っている。それに、今思えば、そう思っているのは自分自身なのだから、自分を蔑むことで何かを守っただけなのだ。もしかしたら、私が抱えてきた不要なプライドをぶち壊して、未来への可能性を守ったのかもしれない。もしかしたら、自分が動くべきタイミングを待ったのかもしれない。


実際に、お金がないから、と心配して交換してくれた人をいると思うが、それはとても有り難いこと。それに、その人自身の内面のことであって、私がそう受け取らなければ何の問題もない。私の内面からさざ波が生まれたのであれば、そこに目を向ける必要があるが、生まれないのであれば何の問題もない。

結局、自分の心次第、ただそれだけなのだ。自分の心がつくり出した世界が目の前の現実として表れる。自分はダメなヤツだ、と思いたければ、それを実感できる出来事が表れてくれるし、自分に許可を出す、ために行動するのであれば、それを実感できる出来事が表れてくれる。そんなものなのだ。

だから「 僕がお金を持つと、価値と価値との交換をしてもらえなくなる 」という思い込みも、私の心次第で消えていく。


空


価値と価値との交換を行いながら毎日を過ごしてきたことで学んだことがいくつかある。価値はまず自分が与えること。価値は水のようなものだから、囲い込んで澱みをつくらないこと。より喜んでもらえるように活かすこと。自分の人生の役割に必要な価値は、必要なタイミングで目の前にやってくる、ということ。

細かく言えばまだまだあるが、私が子供だった頃、学生だった頃、地元で働いていた頃、そして旅をしながら生活している今。今日まで生きてきた過程を経てきた中で、価値というものに対しての折り合いが少しついたように思う。まだ漠然とした感覚ではあるが、根拠のない確信がある。

価値とは夢を叶えてくれる大切な仲間のようなものであり、価値とは絶望を与えてくれる悪魔のようなものであり、自分という存在によっていろいろとそのカタチを変える。その価値の中でも特にお金というものに対しての対極の視点を手に入れたのだと思う。だからこそ見えてきた実相があるのではないだろうか。


これら体験から学んだことは確実に、これから先にやりたいことに関わってくる。だからこそ学ぶことを選んだ、過ぎてから思えばそんなものだ。だから価値という可能性を存分に、等身大でしっかりと活かして、これから先の毎日を過ごしていく。そんな毎日の先には確実に、自分がつくるべくしてつくった、そんな世界が待っている。

ちょうど、これから先にやりたいことが少しずつ具体的になってきた。来年は地元に場をつくり箱を持つことに努め、再来年は小さな村のようなコミュニティを持ち、再来年には見えるカタチで、それらの場からこの先の未来を示していく。まずは3年後の 2018 年、その未来に向かって。




だからもう、過小評価も過大評価もない、身の丈の自分で生きていくことにした。




おわり




この投稿を読んだ人は、こちらの投稿も読んでみてください。

価値を交換しながら生活する。【旅しているから見える世界】#3

価値と価値とを交換すること、について。




    




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