– いま、ここにあるもの。ここにある想い。-
対話の文化の礎を築く、その一端を担うこと。
対話が文化として日常に存在する、そのきっかけの一つであること。
それが変わらず、この先も僕がやっていきたいことの一つで、今のところ1番大きな夢です。
– 1番大きな夢 –
それはきっと、この世界に住む70億人で行うことであり、最低限、日本に住む1億2千万人で行うこととして。21世紀も22年目となり、対話の時代としての流れはこのまま、更に進んでいくのだと思っています。今年や来年は変わりたくない人たちの抵抗もより凄そうですが、その先ではきっと、時代の流れと共に変化していくのかと。そもそも、変わり続けることがこの世の変わらない理の一つですから。
それなのできっと、その一端を担う人は世界各地にたくさん居るはずなのです。人に囲まれて活躍している人もいれば、ひっそりと担っている人もいたりして。どちらが良い悪いではなく、それぞれの生き方なので。その中の一人として淡々と、この先も対話の場をつくり続けていきます。ちなみに、良いか悪いか、正しいか間違いか、と白黒つけようとするのが20世紀の、戦争の時代の判断基準のひとつです。
その過程で、大人がきちんと話を聴けて、きちんと問いかけられる、そんな世界が広がるといいな、と個人的に思っています。家庭や地域で話が聴いてもらえるのであれば、自分らのようなコミュニケーションを生業にする人たちは不要になります。その頃にはまた、別の何かで人の役に立てばいいですし。それに、本質的な部分は必ず残るから、コミュニケーションを生業にする人はゼロにはならないはずです。
– 心の余裕と時間の余裕 –
大人がきちんと話を聴けて、きちんと問いかけられる。そのためには、心の余裕と時間の余裕が必要だと考えています。どんなにスキルを得ても、そこが欠けていたらきちんと話を聴くことはできません。僕自身もそんな大人で在れるよう、旅や対話を重ねながら、日々自分と向かい合っている途中です。辿り着けるのはいつになるのかわかりませんが、出来ることならば生きているうちに辿り着きたいものです。
特に心の余裕は、外的要因で作り出すのではなく、自身の内側から生み出すものだと思っています。例えばですが、お金があるから心の余裕がある、では半分でしかありません。外的要因なので。この例で言えば、お金があろうがなかろうが、心の余裕を持って目の前の相手の話を聴ける存在です。そんな大人が今よりも増えると、個を大切にした世界に変わっていく可能性が増す気がしています。
自分を犠牲にするのでもなく、外的要因に左右されることもなく、自身の内側に信頼や安心を持って日々を生きること。全ての人がそう在る必要はありませんが、人を輝かせる人たちは結局、そんな日々を送っているのではないでしょうか。目の前に起こった出来事を通じて、きちんと自分と向かい合いながら。自分の深い部分、もしくは高みに向かって進んでいって。だからこそ、心に余裕も持っていて。
あと、相手の話は、相手の想いに沿って聴くもの、だと僕は考えています。そして、相手への問いかけは、相手の想いに沿って投げかけるものだと。想いとは、思考に囚われたものではなく、大袈裟に言えば魂の声と言いますか。つまり、きちんと聴いて、きちんと問いかける、ということは、自分の考えや基準を脇に置いて、相手に沿って話を聴いたり、相手に沿って問いかけたりしている状態です。
自分の物差しや正しさは自分のために使えばいいはずなのに、意外にもそれが出来ない大人が多すぎます。もちろん、僕自身も含めて。どうやら、この部分は簡単ではないようです。自分と相手の基準を分ける習慣を持って生きてきた人は少ないようだし、正しさの呪縛に囚われている人も多いようなので。この国の文化というか風習というか、きちんと話が聴けない大人を見事に増やしているように思います。
– 無邪気な大人に向かう途中 –
そもそも成人を迎えることは、身体的に大人になることであって、精神的にはまだ大人ではないはずです。無邪気な子供が社会に出て、頭でっかちな子供になり、そんな人たちが世界をコントロールできると勘違いしながら、今の世は回っているのだと。それはまだ、無邪気な大人に向かう途中の段階です。自分の機嫌を自分でとり、自分の価値を自分で決められる、それが大人なのだと僕は思っています。
それは、精神的に自立した存在です。経済的自立は一人前の入口ではありますが、精神的自立とは違った状態であることの方が断然多いようです。早くて50代、願わくば60代で精神的にも大人になれればいいのかと思うのです。そのためにも、今の社会で大人と呼ばれる人たちが、きちんと話を聴けて、きちんと問いかけられる必要があると思っています。
子供は僕ら大人の鏡です。それは社会全体でも言えること。子供たちは、今の時代に必要な才能を持って生まれてきてくれているのに、どこか抑圧された雰囲気を感じます。それを解き放つにはまず、大人と分類される僕らが変わることかと。大人が心と時間に余裕を持って、子供たちの話をきちんと聴いて、きちんと問いかけることができれば、簡単に世界は変わっていくことでしょう。
子供たちは自ずと、日常の対話を通じて自分に触れ、自身の才能を活かしながら生きていくでしょう。それは、大人も同じなのだと思います。ただし、先に変わる必要がある大人たちが、心と時間に余裕を持つことが、まだこの社会では簡単ではありません。社会でいう、真面目に生きている人であればあるほど、その余裕は奪われやすい社会かと。
それでも必要な未来に向け、覚悟を決めた人から進んでいく必要があります。多くの人にとってそれは、聴いてもらえなかった過去と決別するための、大切な過程でもありますし。ここ10年ほど、対話を重ねてきて思うのです。話を聴いて欲しい、わかって欲しいと無自覚に訴える大人が、こんなにも多いのだなと。その想いを満たすためにはまず、自分が人の話を聴いて、少しでも相手をわかってあげることです。
何はともあれ、そんなことを踏まえて、まずは僕自身が率先してやるだけなのです。いつの日か、対話が文化として、日常で当たり前に行われている世界に向けて、淡々と。目の前の人の話がきちんと聴けて、きちんと問いかけられるよう、この先も体験を重ねていきます。もしかしたら、文化と呼ばれるのは、僕がこの世から去った後なのかもしれません。けれども、それはそれでいいのです。
名を残したい訳でもなく、功を成したい訳でもなく。そりゃあ、日常で対話が行われている風景を見れたら嬉しいですが。けれども、僕が生きているうちに文化と呼ばれていたら、何となく浅いような気もして。個人的には、胸を張ってこの世を去れたらいいなと、ただ思うのです。自分にできることをとにかくやって、納得したうえでこの人生を終われたら嬉しいです。
そんな未来を信頼して、今の自分にできることを積み重ねていきます。
おわり
” この「 いま、ここにあるもの 」では、小林豊の独り言をつらつらと書き記しています。この投稿をする1番の理由は自分自身が思い出す為なのですが、それが巡り巡ってたまたま、この独り言を必要としていた人の元に届くのも嬉しいなと思います。そんな小さな奇跡も信頼しつつ、自分の内側にある想いを言葉にしています。”
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これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO
1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile