– 旅先からの、友への便り。-
– 自分を生きる –
小満 二〇二五年五月二十一日〜六月四日
変わらず、元気にしていますか?僕はそのまま、盛岡で過ごしています。一度暖かくなったおかげもあり、この一週間は朝晩や家の中が少し寒いくらいに思えました。洗濯物を乾かすために、という理由でストーブを点けてみたり。温かさにホッとした自分がいました。それでも、サンダルは履き続けています。何だろうなぁ。意地なのかな。一度解放されたので、靴も靴下も履きたくない自分がいるのです。
前回の便りの後、もう少し盛岡に居ることに決めました。三男の肌の調子が良くなるまでは。七月初旬は盛岡で過ごすことに決めているので、もしかしたらこのまま盛岡に居ることになるのかもしれません。とはいえ、現時点でも回復の兆しはあるので、もしかしたら機会を得て、六月末までの期間を竹原に戻ることや旅の時間として使うことになるのかも。何にせよ今は、目の前のことに力と時間を注げたら、と。
やはり自分にとって、目に映る人たちが幸せであることが重要なようです。同じ地球に住む、遠くの国の人たちの幸せも願いはしますが、その時に自分が居る場所の、目の前にいる人たちに対して、今の自分にできることを行うことに、僕は重きを置いてしまいます。人によってそれぞれに違う、幸せを感じられる状態を、共に過ごしながらそれぞれが見出していけたら嬉しいのです。僕自身も含めて一緒に。
*
先々週末から学校を休んでいた三男なのですが、今週は一日おきに学校に行っています。しばらく、肌の療養を第一優先にしていました。本人も、傷だらけの顔をじーっと見られたり、「 顔やばっ 」とか、特に一年生に言われるのが嫌みたいで、学校に行きたくない気持ちが増してはいるのですが。明日は行く、と言いつつもいつも、夜くらいから不安に包まれ、朝には見事に行きたくないモードが全開です。
同年代との関わりの中で学び合うことは、とても重要なことだと思います。人は人の中にいるのが自然だと思うので。けれども、学校に行くべき、という感覚は僕には無いです。もちろん、人の中に余裕で入っていける方が、今後の選択肢も広くはなるのでしょうけれど。ただ、学校に行く以前に、元気に日々を暮らせていることが優先だと考えています。日々の暮らしがあってこその、学びの機会だと思うので。
安心してぐっすり眠り、元気に起きて、必要な分だけご飯を食べ、必要な分だけ身体を動かす。加えて、何となく7歳って、生きることの基本を知っていてよい年なのだと思っています。子供は元気に遊んで、元気に学んでくれたらいいのですが、大前提として生きていくために必要なことの、基本となる部分は行えた方がよいかなと。一人の人間として、共に暮らす共同体として。手伝いではなく、自分ごととして。
*
つい先日、土星が牡羊座に移動したようですね。三十年ぶりに、始まりの星座に戻りました。昨日は双子座で新月を迎え、来月始めには木星が蟹座へ移動し、七月始めには天王星が双子座へ移動します。三月末には、海王星が牡羊座に移動しましたし。こんなことを書いておきながら、僕は西洋占星術に詳しいわけではないのですが、それでもこの一年は本当に、いろんな変化が起きそうだなと思ってしまいます。
次に土星が牡羊座入りするのは三十年後で、僕は78歳に。土星が牡羊座に戻ったのかぁ、と思えるのは最後になる可能性も充分にあります。そんなにも、歳を重ねてきたのですね。実際、若かろうが、歳を重ねていようが、自分が明日を迎えられるかどうかなんてわからないのですが。つい、明日も当たり前にやってくる気がしてしまいます。それでも、今日が人生最後の日だと思って過ごせるかどうか、ですかね。
実際それは、簡単なことではありません。けれそも自分としては、この十二年と少しの旅する暮らしの中で、終わりの練習は重ねてきました。旅立ちは人生の終わりを迎える時の、練習なのだと思うのです。その土地や人に馴染めば馴染むほどに。他にも、卒業や定年など、区切りを迎える時はそうなのだと思います。終わりがあるからこそ、今を愉しむことができ、密度を高めることができるのだと考えています。
*
そろそろ、この前の節分までの十二年間をふり返ることができれば、とも思っています。この十二年間の出来事を思い出す機会であり、この先の十二年の種となるものです。自分にとってのよき種を蒔くためにも、必要な機会だと考えています。この四ヶ月、問いを自分に投げ続けているので、あとは言葉にしてまとめるだけです。来月の一粒万倍日が続く頃に行えれば、よりよきものになる気がしています。
思い返せばこの十二年は、思い込みを手放すことに注いだと言っても過言ではありません。すべき、ねばならない、といった思い込みを手放し続けたことが、僕の旅する暮らしの始まりであり、今もまだ続く大切な作業です。体験を重ね、自分を広げていく過程で必要だった思い込みを手放し、本来の自分に戻っていく過程です。自分でわざわざ離れていき、それを削ぎ落として戻るなんて、面白い過程だと思います。
そんな過程のおかげもあって、僕にとっての一番の仕事は、生きることだと胸を張って言えるようになりました。しかも、ただ生きるのではなく、自分を生きることです。そのために暮らし、暮らすために糧や道具を得る必要がある、と考えています。この順序を守ることが重要だと考えるようになりました。まずは個人において、自分を生きること以上の目的はないのだと思うのです。
*
さてさて、五月ももうすぐ終わりを迎えます。早いものですね。盛岡での日々も同じく、あっという間に過ぎています。一ヶ月ほど遅れていた公式ページの投稿や、写真の整理などの日常作業が、だいぶ追い付いてきました。あともう少しで、他のことをやる余裕が出てきます。僕は、日常作業が遅れてしまうと、創作的な作業に力を注ぎにくくなるようです。遅れが心に引っかかってしまうというか。
それでも今はまだ、遅れている作業に対して前向きに携われるし、他のことにも気をまわすことができるようにはなりました。やる気は、やっているうちに生まれてくるみたいですし。以前に比べ、現実逃避の時間が短くはなりました。僕が動いていようが、止まっていようが、世界は変わらず回り続けているので。昔のゲームみたいに、自分のターンが終わらなければ時は進まない、なんてことはありません。
おかげで、日々の積み重ねの大切さを改めて実感する、今日この頃です。中でも特に積み重ねたいのが、日々の暮らしの中でまずは自分が、「 ありがとう 」と伝える機会をたくさん持つことです。そして、「 ありがとう 」と言ってもらえること。それは自分にとって、とても重要な指標なのだと思っています。そんな機会をたくさん持ちながら日々を生きること。そんな日々は、とても豊かだと思っています。
二〇二五年五月二十八日

2025/05/14 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi

2025/05/18 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi

2025/05/23 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi
おわり
” 「 旅の途中の 」では、旅先から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。そんな便りの中で僕の、日々の些細な出来事を通じた気づきを貴方に共有させてください。それが結果的に、互いが生きる日々にとって、より佳きものになれば幸いです。”
よかったら、こちらの投稿もどうぞ。
◻︎ 暮らしている場所の予定、などを更新しました。| お知らせ【 6/23(月) 】
◻︎ 応援してもらえると嬉しいこと。| お知らせ【 6/19(木) 】
◻︎ 2024-2025 応援・支援募集のお知らせ。| お知らせ【 8/23(金) 】
[ ここ1ヶ月の人気の投稿 TOP5 ]
No.1 – 「 さわやかな風と 」| 旅路 #010
No.2 – 夫婦とは、どうあるべきなのか。| いま、ここにあるもの #104
No.3 – この先の十二年の、種となるもの。| いま、ここにあるもの #150
No.4 – そこにある物語を、素直に切り取る。| いま、ここにあるもの #149
No.5 – 座敷童子のように生きること。| いま、ここにあるもの #142
これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO

1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile