コントラスト。| 旅の途中の #031



Ver.1.0.0



– 旅先からの、友への便り。-






– コントラスト –


立夏 二〇二五年五月五日〜五月廿日




 変わらず、元気にしていますか?僕はそのまま、盛岡の家で過ごしています。暦の上では夏を迎え、こちらの気候も段々と夏に向かっているようです。別府に滞在していた時にサンダルを履いて過ごしていたのもあり、こちらでもどうにかサンダルで過ごそうとしているのですがまだ、特に朝晩は空気が冷たくて。そうしていたらいつの間にか、右足の親指にあかぎれができていました。


サンダルを押し通したことで、まさかこんな時期にあかぎれになるなんて。未知の体験を味わいながら、昔の人はきっと、こんなことにはならなかったのだろうなと、甘く柔らかい現代の足回り事情に守られている自分と、裸足や草鞋で生きていた時代のことを比べてみたり。アスファルトに靴という環境はとてもありがたいのですが、土や砂の上を裸足で歩く機会がもう少しあった方がいいような気がしています。


一昨日は、妻の実家で晩ごはんをいただきました。いつも通り、義父と酒を呑みながら。妻の、僕が酔っ払って帰りの車の中ではしゃがせないようにするための包囲網が、義父との呑みの回数を重ねるごとに凄くなっています。最近はね、たくさん呑むと記憶が無くなることも増えてきましたし。そもそも、僕はお酒が強くないのです。けれども、呑みの雰囲気が好きだからつい、たくさん呑んでしまいます。


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 GWは予定通り、基本は家で過ごしました。図書館で借りた本を読んだり、ノーマルタイヤに交換したり、テレビでのサンフレの試合観戦や、散歩がてらスーパーへ買い物に行ったり。遅れている作業を今に戻したいことなど、多少は特殊な要素がありましたが、妻をバイト先に送り、三男と過ごしつつ家のことをやる、という日々が続きました。そんな日々は僕に、とても穏やかで温かい充実感を与えてくれます。


それに、今回の滞在では、自分がやりたいと思っていたのにやっていなかったことを、一つずつ実行することができています。例えば、suzume でカレーを食べて、珈琲を呑みながら読書をしたり、昨日は志和蚤の市に行きました。他にも、ささやかに自分のやりたいことを実行することができています。前回の、とても長かった盛岡滞在時は実行できなくて。今ふり返ると、ものすごい重力に覆われていました。


それが良いとか悪いとかではありません。とにかく今回、それらを一つずつ叶えていけていることで、自分の中に晴れやかな気持ちが広がっています。前回の滞在時との対比も含め、これもまた僕の人生なのだなと。あれだけ重く苦しい時間があったからこそこうして、晴れやかな気持ちを感じれるのだと思うので。いちいち苦しむことは願わくば不要ですが、何かを手放し次に進む時だったのだと思います。


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 そういえば、三里四方の食によれば病知らず、という言葉に出逢いました。面白いかなこれは僕にとって、旅する暮らしの中で得た感覚なのです。それぞれのまちにはまず、わかりやすい違いがあります。そして、言葉にならない違いも何となく感じてきました。そんな機会を重ねる中で段々、一つのまちへの滞在時間を延ばすようになり、14DAYS×春夏秋冬というプロジェクトを思いつきました。


その地域のものを食べて、体内の水も入れ替えて。少しでもその土地の波動やエネルギーを自分の中に取り込み、根付いた人に近い状態で過ごせるようになる期間として、二週間の滞在を選びました。それを、春夏秋冬の季節ごとに味わいます。ちなみに、体内の全ての水が入れ替わるには、18日〜六週間必要だと言われています。それには日数が足りていないのですが、旅と移住の狭間としては充分です。


その影響もあって、滞在先の近くで作られたものを可能な限り口にするようになりました。それは家に戻っても、一泊だけの時でも同じです。とはいえ、チェーン店のご飯が恋しくなる時もありますし、舶来のウィスキーなど、遠くで作られたものを口にすることもありますが。そんな、土地に根付いた人が大切にした方がいいと考える要素を、旅を重ねる中で見出すなんて面白いなと思いました。


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 そんな学びもあって今は、自分が生きている場所の近くで作られたものを選ぶ割合が増えました。それは食べ物や水に限らず、衣類や生活の道具なども同じで、竹原や盛岡になければ県内で、県内になければ隣県や同じ地方内で、それでもなければ近い国内で選べたらと考えています。外国産が嫌というよりは、この先改めて、自分らの住まう地域で衣食住を賄えた方がよいと考えるようになったからです。

それこそ三里四方 ( 半径6km ) で賄えるとよりよいのでしょうけれど、現時点では不可能なものもたくさんあります。それでも、その割合を高めていけるといいのだと僕は思うのです。それなので、都会化は東京や大阪など、大都会にお任せして、地方と呼ばれる地域は、衣食住の自給率を高めることに力を入れたほうがよいのではないかなと考えるようになりました。それを可能な限り、小さな規模で。

衣食住を自分らの地域で何割賄えているのか。それを1%でも高められるよう、一個人も民間企業も自治体も、協力していければいいのにな、なんて考えています。地方にはまだ、関係性の商いが残っている割合が高いですし、今ならまだ再構築しやすいのかなと。ただ、政治が急にそんな方向に向くとは考えにくいです。中小規模の自治体が方向性として掲げたらカッコいいだろうな、と勝手に思っていますが。


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 さてさて。盛岡の家に戻って、早くも三週間が経とうとしています。それなのでそろそろ、次の目的地と旅立ちの日を決めた方がいいのだろうな、と朧げに考えていて。今月末には自動車税、来月末までに車検と、いつもとは違う支払いも待っているので、いつもより多めに現金を受け取る必要もあるのです。それなので何か、僕が人の役に立てる機会のある場所はどこだろう、なんて考えています。


これまでは、お金を稼ごうとして動くとうまくいかないことが多かったのです。ちょうど先日見た動画で、その理由がわかった気がしているのですが。ただ、そのおかげで、自分が見返り不要で応援したい人の応援をするという、今の生き方に辿り着けました。贈与の循環の中に身を置くことが自然なのだと実感しています。実際にその方が僕にとって、必要なタイミングで必要なモノやコトが届きやすいようです。


先日見た動画では、お金と現金は違うと言われていました。お金とは、与えた価値、与えられた価値に対して感謝を表すもので、そのお金には6つあり、言葉、行動、物品、応援、ご縁を繋ぐ、現金がそうなのだと。そうだとすれば、お金が無い人なんていないですね。お金はあるという大前提で、これらを巡らせて。こうやってまた、この十数年でやってきたことの解となるものに出逢うことができました。




二〇二五年五月十二日

小林 豊





2025/05/02 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/05/05 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/05/05 KOBE / HYOGO / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi






おわり




” 「 旅の途中の 」では、旅先から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。そんな便りの中で僕の、日々の些細な出来事を通じた気づきを貴方に共有させてください。それが結果的に、互いが生きる日々にとって、より佳きものになれば幸いです。”




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