日に日に春を感じつつ。| 旅の途中の #027



Ver.1.0.0



– 旅先からの、友への便り。-






– 日に日に春を感じつつ –


啓蟄 二〇二五年三月五日〜三月十九日




 変わらず元気にしていますか?今回は、竹原からの便りです。2/26 の午前中、久しぶりに盛岡の家を旅立ち、二日かけて竹原の家に辿り着きました。今回、盛岡の家で過ごしたのは計177日。これだけ滞在したのは、過去最長かも。それなので、旅立つ前はだいぶ億劫ではありました。移動手段などを受け取れず、不安でもありましたし。とはいえ、旅立ってしまえば色々と心が躍るわけですが。


今回の移動は、盛岡から大宮までを新幹線、大宮からは在来線で移動しました。その日は清水でサンフレッチェ広島の試合があったので、静岡に泊まることも考えたのですが、今回の第一の目的は移動なので、浜松まで移動して、宿で試合を観ることにしました。途中、紫のユニフォームを着た人が清水駅で降りたので、僕の分まで応援よろしくお願いします、と心の中で勝手にお願いしてみたり。


今回の移動でも実感したのですが、鈍行で3〜4時間ほど移動して途中下車をして泊まり、また翌日3〜4時間移動する、そんな流れでの移動が自分の理想だと再確認できました。車旅でも同じく。速い移動は極力避けて、可能な限り遅い移動で暮らしを眺めながら。例えば、盛岡から竹原までは 1,383km で、乗り換え含めて25時間とスマホが教えてくれたので、この道程を五泊六日で移動する流れです。


*


 半年と半月ぶりの竹原の家に戻ると、両親が迎えてくれました。二人共、元気でいてくれてありがたいです。こうして元気でいてくれるから、僕もこんな生活ができているとつくづく思います。二人に限らず、妻も子供たちも、義父母も元気でいてくれるから。そんな有難さを実感しつつ、久しぶりの竹原の家での時間を過ごしています。朝晩と日中の寒暖差が激しくはありますが、日に日に春を感じつつ。


裏庭では今年も、梅が花を咲かせてくれていました。この梅は僕が中学校卒業時にいただいたものです。早いもので、あれから32年経ったのですね。毎年元気に花を咲かせてくれています。僕にとって、例年行なっている春を迎える旅の、鍵となる存在なのかもしれません。立春を迎えた後、この梅が花を咲かせる姿を見ることで、また新しい1年の始まりを実感して。何となく、そんな気がしてきました。


立春を竹原で迎える、というのが例年の流れなのですが、今年はこの時期になりました。その分体験できたこともあれば、体験できなかったこともあります。けれどもきっと、最適なタイミングだったのだと思うのです。いつもそう。うまく事が進まない時でも、ふり返ってみると最適なタイミングだったことがよくわかります。そう思い込もうとしているだけなのかもしれませんが、僕はそう思います。


*


 三月の始め頃、ちょうど手伝える父の現場があったので、三日ほど現場に出ました。平屋の小屋の梁や桁が白蟻に食われたので、柱より下はそのまま活かし、梁や桁、一部の垂木を造り直して屋根を修繕する現場でした。そんな現場があるタイミングで竹原に戻るなんて、相変わらず運がいいです。やっぱり最適なのだと思います。土に還る家に携わりたい自分にとって、関連する学びの多い現場でした。


初日は、加工してあった梁や桁を柱に差し込み、その上に保管してあった棟を立て、保管してあった垂木を順番に並べて固定し、破風を固定したところで終わりました。金槌で釘を打つ機会があったのですが、久しぶり過ぎてその日のうちに筋肉痛になりまして。けれども、金槌や手のこを使うのは、とにかく愉しいのです。そして、機械を使わず家を造っていた先人たちに、改めて敬意を払いました。


二日目は、平小舞を取り付け、野地板を打っていきました。今回は焼き杉を野地に使ったので、いつの間にか顔まで炭で黒くなっていて。丸のこを使ったり、鉄砲で釘を打ったりする機会が多く、道具の便利さを実感です。そして三日目は、矢切の下地を造り、破風の込み栓を切り、いくつかの補修をして終了。普段使わない筋肉を使い、見事に疲れました。けれども、とても心地のいい疲れです。


*


 そんな体験を経て、滞在している場所でこんな風に、数日手伝える建築現場があるといいなぁ、と率直に思いました。滞在中、フルで現場に入っていると、日々の作業を行えるのが、朝か夜になります。それに、やりたいことをやるための余白が残りません。そんな生活はもう、望んでいないので。頑張ることは手放して、いかに長く昼寝ができるか、それを日々の過ごし方の一つの基準にして。


とはいえ、毎日昼寝をして過ごしたいわけではありません。それ程に時間の余裕を持って毎日を過ごしていきたい、ということです。時間の余裕と心の余裕を持って日々を過ごして。心の余裕に関しては、お金を持っていようと持っていまいと変わらず、大丈夫という安心を抱き続けられる自分でありたいです。そんな自分である方が、大切な道具の一つであるお金と、より仲良くできるでしょうし。


しかし、そんな都合よくいくのか、気になるところです。どうあっても、自分が望む状態に向けて、ひとつひとつ行動を積み重ねていくだけなのですが。自分が心から望む状態を思い浮かべたら、それすらも手放して、心が躍ることを淡々と、愉しみながらやるだけです。それはこの先も、実現化の要点として存在し続けるのだと思います。ただ、思考ではなく、より心に導かれる必要はあるのでしょう。


*


 このまま、あっという間に彼岸入りして、春分を迎えることになりそうですね。この後は、広島市内で次男や友人たちに逢い、光で長男に逢い、三津で五周年を祝いつつ友人たちと乾杯して、別府に辿り着くのが一番望ましい流れです。別府から盛岡に戻る時は、さんふらわあに揺られたいので。そして、長野を経由して戻りたいです。先のことなのでどうなるかはわかりませんが。


前回の便りでも触れましたが、この前の移動でまた、事が動き始めたのだと朧げに思っています。僕自身の心が分かりやすく動いたからか、物理的に動いたことで均衡を破ることになったからなのか。単に、タイミングが訪れただけなのかもしれません。何にせよ、進んでいくのだと思います。それなので、今この瞬間を愉しみながら、必要な時にブレーキだけは踏めるようにして。


正直、アクセルが不要な流れに、まだ慣れきってはいませんが、車の運転がそのヒントを与えてくれています。下り坂で、どうすればブレーキを緩めることができるのか。それは、大丈夫という安心であり、きちんと進めるという信頼であり。頑張ることでも、我慢することでもないようです。それらはサッと手放して、自分の心が躍ること、歓ぶことを少しずつでもやっていくのが、この先はいいようですね。




2025/02/27 TOYOKAWA / AICHI / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/03/07 TAKEHARA / HIROSHIMA / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/03/09 TAKEHARA / HIROSHIMA / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi






おわり




” 「 旅の途中の 」では、旅先から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。そんな便りの中で僕の、日々の些細な出来事を通じた気づきを貴方に共有させてください。それが結果的に、互いが生きる日々にとって、より佳きものになれば幸いです。”




よかったら、こちらの投稿もどうぞ。

はじまりの唄。| 旅の途中の #026

「 目の前にある暮らし 」| 旅路 #007

望みに焦点を合わせる。| くらしのたね #054

土に還る家。| いま、ここにあるもの #148




    




[ お知らせ ]

◻︎ 応援してもらえると嬉しいこと。| お知らせ【 3/13(木) 】
◻︎ 暮らしている場所の予定、などを更新しました。| お知らせ【 3/10(月) 】
◻︎ 2024-2025 応援・支援募集のお知らせ。| お知らせ【 8/23(金) 】


[ ここ1ヶ月の人気の投稿 TOP5 ]

No.1 – 「 春を迎えた頃の 」| 旅路 #006
No.2 – 春を迎えて。| 旅の途中の #025
No.3 – そこにある物語を、素直に切り取る。| いま、ここにあるもの #149
No.4 – はじまりの唄。| 旅の途中の #026
No.5 – 「 目の前にある暮らし 」| 旅路 #007





スキナトキニ
スキナコトヲ
スキナトコロデ

これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。




最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。



BLOG TOPへ

– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO

TOPページへ