– 旅先からの、友への便り。-
– そこに含まれる命の総量 –
立秋 二〇二四年八月六日〜八月二十一日
お盆の最中から始まった前回の移動は、久しぶりに予算を下回る所持金での移動となりました。この暑い中、車中泊できるのだろうか。福山で免許の更新をしてからの大阪入りまでの、ガソリンは保つのだろうか。お盆の最中で、渋滞に巻き込まれるのではなかろうか。そんな不安からスタートでした。元々、盆前に移動する予定が変わり、訪ねる予定にしていたところもタイミングが合わずで。
それでも移動する必要があるので、きっと辿り着けるのだとは思います。必要な出来事が必要なタイミングで起きるのは確かで、タイミングを信頼して前に進むしかなくて。でも、大丈夫。きっと大丈夫。いつも通り大丈夫。流石に出発の頃には覚悟は決まっていて。安心を抱いて盛岡を出発しました。そうなればもう、いつもの通り。何とかなるのだろうし、必要な時は何とかしながら前に進めるものです。
そんな感じで、旅する暮らしを始めた頃と不安の大きさは違えども未だに、出発の前は不安になります。これは、変わらない部分のひとつです。その強度や時間、落ち込み具合など、回を重ねるほどに小さく、短くなってきましたが。出発の前には不安になる、ということ自体は変わりません。でも、全てではないか。ふり返ってみると、予算がきちんとある時には不安になっていませんでした。
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話は変わりますが、八月六日を広島以外で迎えたのは久しぶりで。昔はどこの県でも同じように、時間になればサイレンがなるのだと思っていました。盛岡の街中では、八月九日の十一時二分にサイレンが鳴ったと聴いたので、八月六日にも鳴らしてもらえていたのかもしれません。岩手県の大船渡で八月六日を迎えた時、八時十五分にサイレンが鳴り、驚いたのを覚えています。
普段は式典の映像を見ることはないのですが、黙祷のタイミングを計るために配信を流していました。その中で見かけた、招待・不招待の文字を見て違和感が。平和式典としての招待も不招待も、明確な基準を持って公平に行われるといいなと思います。何だか、目的からズレている気がして。広島の日にしても長崎の日にしても、政治に利用されているとしたら、とても残念に思います。
個人的には、違和感を大切にしながら日々を過ごしていきたいのです。何か違和感を感じた時に、おかしいと思えるかどうか、きちんと立ち止まれるかどうか。それはこの先の時代を生きていく中で、とても大切なことだと思います。これまでのような、アクセルを踏まないと前に進めない時代から、前進は流れに委ね、必要な時にブレーキを踏む時代へと変化していることを、旅する日々の中で実感しています。
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話を元に戻します。三泊の車中泊と、一泊の友人宅泊を経て、広島県の福山にある免許センターに辿り着きました。ゴールド免許は県外でも更新できるようなのですが、自分の暮らし方では受け取りのタイミングを計るのが大変そうなので、免許センターでの更新を選びました。ちなみに、来年からはオンラインでも受講できるようになるのですね。
そんな流れで行った免許の更新なのですが、すんなり終わってしまいました。それなので、せっかくだから一晩だけも竹原に戻ろうと思いまして。財布の中は残り千円。車の走行可能距離は、福山から竹原経由で大阪に向かうとして、今の燃費だと+140km 走れるそうです。ここまで来たらもう、大丈夫でしょう。何とかなります。両親の元気な姿を見ることは僕にとって、とても大切なことでもあるので。
福山の免許センターから竹原の家までは一時間ほど。岩手県から運転してきた自分にとっては、何でもない距離で。しかし、人の感覚とは面白いものですね。確かに、人は忘れていく生き物であり、慣れていく生き物です。以前の感覚を完全に忘れたわけではありませんが、今は下道での車旅に慣れている自分がいます。そんな日々は、バンライフに向けての、とても良い実験の機会になっています。
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竹原の家に着いたらもうエンジンをかけなくていいよう、先に海水浴場に寄りました。竹原で生まれ育った僕にとって、瀬戸内海が一番見慣れた海です。昨日の朝に見た琵琶湖や先月通りかかった浜名湖はそれに似た雰囲気で、海外から来られた方が瀬戸内海を湖と思ってしまうのが今ではわかります。ウロウロしながら生きている今は内陸部に居ることも多く、海が見えたらとにかく嬉しくなるのです。
家に戻って一番に行ったのは洗濯でした。その合間に仏壇や神棚、中庭にあるお地蔵さんに手を合わせます。そして、畳の上で横になりました。畳の上で生まれ育ったからか、僕には畳が必要です。もし選ぶ必要があるとすれば、どんなに新しく綺麗な家よりも、畳のある昭和な家での暮らしを望むのだと思います。もちろん、シンプルにデザインされた、畳のある現代的な和の建築も好きです。
ほんの一晩だけだったけれど、両親の元気な姿を見ることができてよかったです。旅を続けてきた中で実感したことにひとつに、次に出逢えるかどうかなんてわからない、ということがあります。死別することもあれば、ご縁が終わることもあって。次があるかどうかなんてわからない。それでも、また次に出逢えるように努めること。だからこそ、短い時間であろうと、逢える時に逢っておくことが大切だと。
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そんな流れで無事、大阪に辿り着きました。計1,737kmの下道車旅でした。今回は元々予算が下回った中での移動だったのでいつも以上に、お店で安くて腹の膨れるものを手にしようしてきたと、今ふり返ると思えます。そのおかげもあって、揚げ物やカップラーメン、菓子パンなどが続きました。それらの食べ物が久しぶりで嬉しいのもあって。とは言っても、普段から半額シールに弱い僕ではありますが。
今、三男が小麦粉と乳製品を控えていることで、盛岡の家では同じくグルテンフリー、カゼインフリーな生活なのです。その反動もあったのだと思います。そんな日々を経てから竹原の家で、母の料理を食べることになりました。僕の勝手な感覚ですが、お腹の膨れ方というか、満たされ方が違う気がして。結果的に、食べる物に含まれる命の総量、というものを実感しました。そこには、作り手の想いも含まれます。
逆に移動中の多くは、食べても食べても満たされない感覚と言いますか。もちろん、不安でもあったのだと思います。何にしても、美味しく食べるのが一番、というのが前提だし、スーパーのお惣菜も好きだし、菓子パンもカップラーメンも好きです。それでも、食べる物に含まれる、目には見えない何かが、僕らの身体を作ってくれているのだと強く実感しました。そう考えると、カロリーって一体何なんだろう。
おわり
” 「 旅の途中の 」では、旅先から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。僕の、旅する暮らしの中で起きる些細な出来事を通じて、ほっとひと息ついてもらえたら幸いです。”
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これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO
1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile