ご縁が続くかぎり。| 旅の途中の #028



Ver.1.0.0



– 旅先からの、友への便り。-






– ご縁が続くかぎり –


春分 二〇二五年三月廿日〜四月三日




 益々春めいてきましたね。昨日の日中は半袖で過ごしていたので、少し通り過ぎてしまった気もしますが。竹原の家の二階にある僕の部屋は、西日も含めて日当たりがよく、とても暖かいのです。春分を迎える頃までは思いの外冷えていたので、一気に動きやすくなりました。明日には竹原を旅立ち、別府へと向かう予定です。いつも通り、寄り道をしつつ旅程を決めていきます。無事に辿り着けますように。


先日、部屋の配置換えと片付けを行ったのですが、元々そこにあったかのように物が馴染んでくれています。続きは次回の滞在時に持ち越すとして、大掃除としてもよい機会となりました。長年過ごした場所ではあるので、物が出てきてはその当時のことを思い出します。その都度、当時の自分と再会することに。そんな向かい合う時間も含めて、とてもよい機会でした。すでにあったのだなと、改めて思えます。


戸棚や本棚を移動し、真四角のコタツの横に和机を持ってきてL型の作業スペースにしました。その奥には32インチのテレビを置いて。拡張モニターとして活用し、写真や動画を見るのに使っています。そして、部屋の隅にある、作り付けの机まわりも綺麗にして。あとは照明の準備ができれば、ここも見事な作業スペースです。いい塩梅の引きこもり空間が、着々と出来上がってきました。


*


 先日の満月を迎えた日には、高校の同級生と一緒に的場海水浴場へ行きました。とても天気のいい日ではあったのですが、まだまだ風が冷たくて。浜辺で弁当を食べ、コーヒーを飲みながら話をして。的場山にある三鬼神社にも登りました。確か、去年もこの頃だったような。春の陽射しの中の瀬戸内海の島々と、その間を行き来するフェリーなどを眺め、何度も何度もカメラで切り取りました。


別の日の午後、町並み保存地区を歩いていると、懐かしい顔を見かけて。けれども、衣装の違いに驚きです。聴けば、週末に珈琲屋を始めて三年ほどになるそうで。近況や昔話で盛り上がりました。翌日には、たまに手伝っていた居酒屋に顔を出し、帰りにラーメン屋に寄ると、やはり顔見知りな人達が。どこかに行けば誰かに出逢う。この感覚は、地元ならではだなと。小さな町ではありますし。


そんな小さな町の中にしても、ご縁とは面白いものだと思えます。腐れ縁のように続くものもあれば、いつの間にか終わってしまったものもあり。終わったと思っていても、間を開けて再開するご縁もありますね。僕は勝手に、ご縁のある人との間には共通の課題、課せられたお題があるのだと思っています。それがあるうちはご縁が続くのではなかろうかなと。大きなことから小さなことまで、課題にも色々あって。


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 お彼岸には、母と墓参りへ行きました。三月は従兄弟の命日もあったので、気分もスッキリです。うちの墓は高台にあるお寺の更に上にあるので、行くの億劫ではありますが、その道中で町を見渡すことができます。二十代の頃によく、ここから町を眺めながら、まちづくりのことを考えていました。今ふり返ると、問いがほんの少し、本当に望んでいることとズレていたのかも、と思えます。


その週末、母の、年に一度の検診の付き添って、父と三人で呉にも行きました。呉駅と呉港は年に一度ほど使う機会はあったのですが、車から眺めるのは久しぶりです。やはり呉は街なのだなと思いました。呉そごうの跡地の工事が進めば、また雰囲気も変わるのでしょうね。無くなったものもあれば、新しく生まれるものもあり。寂しさと喜びと。人の生もまちも、また同じものなのですね。


そしてそのまま、広島市内に住む妹一家の家に向かいました。次男も一緒に。一年ぶりの妹や姪っ子たちです。ただ、義弟や甥っ子には今回も逢えずで。一年ぶりでこんなにも変わるのであれば、義弟や甥っ子に逢える時にはもう、その変化に驚くのでしょう。そして、変わらない部分に安心してみたり。身内は長いご縁の最たるもの。血筋もあれば、他人同士がきちんと身内になって、ご縁の中で精一杯に生きて。


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 そんな竹原の家での日々の中で、この先の十二年はしっかりとお金を稼ごうと強く想いました。これまでも何度か、そう想う機会はありましたが。見事に空回りを繰り返してしまい、お金を介さない生き方へと戻ってしまうのです。自分の覚悟が足りなかったのか、まだ必要な体験が終わっていないからないのか。今、そのタイミングが来たかどうかはわかりませんが、改めてそう、強く想いました。


とはいえ、この先も自分の物は変わらず、誰かから届けてもらうことを望んでいます。お金を稼ぎたいのは、自分の周りの人たちに巡らせる物を得るための、手段の一つとして。贈与の循環の中に身を置きつつ、それをやんわりと広げていけるといいなと思っています。もちろん押し付ける気はなく、それを望む人たちに対して行う働きかけではありますが。そもそも、世界は贈与でできているわけですし。


こんなことを思うと、旅する暮らしを始めた頃に目指した、助け助けられる世界へ、という言葉は、今でも僕の中にしっかりと刻まれているのだなと思うのです。たくさんのありがとうを巡らせ、たくさんのありがとうを受け取り、またありがとうを巡らせて。そんな、互いで支え合える環境が改めて広がることを心から願っています。そのための手段の一つとして、しっかりとお金を稼ごうと思った次第です。


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 もう少しで新月を迎えますね。蝕の季節は得意ではない印象がありましたが、今回は大丈夫そうです。今の自分にとって向かうあう必要がある自分とはもう、向かい合えているのかもしれません。昨年の秋からの時間がそうだったのかな。何にせよ、久しぶりの竹原での時間をのんびりと過ごせました。今夜は父と母と三人で、父の馴染みの店に晩ごはんを食べに行ってきます。


新たなサイクルに入った今は、ご縁の確認も必要だと思うのです。それもあってまずは二人ほど、お久しぶりな人たちに連絡をしてみました。一番の目的は、おかげさまで今もこうして生きられていることに対しての感謝を伝えることですが。ご縁が続いているのであれば、またやり取りも起きるのではないかなと。今はね、SNSのおかげで相手のことは適度にわかるし、繋がっているように思えますもんね。


そうだとしても、ご縁が終わっていることに寂しさを感じることがこの先もあるのだと思います。時代の変わり目でもありますし。そんな寂しさを抱きつつも、相手のこの先の幸せを祈り、感謝して前に進めたらと思うのです。そして、今もまだご縁の続く人たちと共に、この先の時代を生きていけたらと。この先では改めて、自分ら、と思える人たちとの関係性を深め、ゆるゆると広げていけたら嬉しいです。




二〇二五年三月二十七日

小林 豊





2025/03/14 TAKEHARA / HIROSHIMA / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/03/18 TAKEHARA / HIROSHIMA / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/03/22 TAKEHARA / HIROSHIMA / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi






おわり




” 「 旅の途中の 」では、旅先から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。そんな便りの中で僕の、日々の些細な出来事を通じた気づきを貴方に共有させてください。それが結果的に、互いが生きる日々にとって、より佳きものになれば幸いです。”




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