まるで温泉に浸かっているかのような。| 旅の途中の #029



Ver.1.0.0



– 旅先からの、友への便り。-






– まるで温泉に浸かっているかのような –


清明 二〇二五年四月四日〜四月十九日




 変わらず元気にしていますか?僕は三月の終わりに、昨年の七月以来の別府に辿り着きました。それほど時間が空いたのは、別府によくお邪魔するようになってから初めてなはず。けれども、この町の特性なのか、そこに住む人の特性なのか、久しぶりであることを感じさせない何かのおかげで、すんなりと町の雰囲気に馴染むことができました。まるで、前回の滞在から続いているかのように。


明らかにこの町は、自分の波長と合うのだと思います。そんな町に住む人たちだから、感覚の合う人が多いのかもしれません。気の置けない友人夫婦や、姉や娘のように思える友人など、自分の身内が住んでいる町の一つです。幸いなことに自分には、そう思える人たちが他のまちにもいます。そこを訪ねながらの旅する暮らしはとても豊かで、関係性というものを掘り下げるとてもいい機会にもなっています。


家族とは、夫婦とは、親子とは何なのか。身内とは、友人とは何なのか。そんな、パートナーシップについて考える大切な機会です。家族だとか身内だとか、口では何とでも言えます。血筋によって表されるものでもありますが、夫婦にしても親子にしても、その本質は関係性の深さなのだと思うのです。そんな機会を与えてもらっている自分は、どんな未来に向かって体験を積み重ねているのでしょうか。


*


 別府ではいつも、山田別荘という老舗旅館を訪ねます。そこが運営するシェアハウスにいつも泊めてもらっていて。滞在しつつ女将と対話していると、幾つも手伝うことが生まれるのです。それらを行なっているといつも、あっという間に時が過ぎて。他にも、北高架商店街で過ごしていると、同じく手伝うことができたりして。そうやってほぼ、北浜エリアで過ごしているのが、近年の僕の別府での日々です。


山田別荘では、女将の想いや考えをまとめるために対話を重ねることが主ではありますが、スタッフが足りない時には清掃を手伝ったり、片付けや補修、洗い物や買い物など、手伝うことは多岐に渡ります。しかも今回は、三月下旬に別館が火事に遭われたばかりだったので、別館解体に向けての準備の前段階としての片づけを行なっていました。先週末には春祭りあったので、その準備も兼ねて。


春祭りでは広島から出店する方々もいて、別府で地元の人たちに出逢うという不思議なご縁を、昨年に引き続きいただきました。95年前にこの別荘を建てられた女将の曽祖父は広島出身でもありますし。その祭りの最中、桜の下に畳を敷いて、そこでの時間を愉しむ人たちの姿を眺めていました。火事見舞いでいただいた酒を振る舞ってみたり。翌日の打ち上げも含め、こんなに花見をしたのはいつぶりでしょうか。


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 別府滞在時の恒例となった、友人夫婦との食事の時間は、今回もとても愉しいものとなりました。彼らも同じく、東日本大震災後に移動しながら生活することを選んだ人たちです。当時の彼らを訪ねたのが、僕の旅する暮らしの始まりでした。彼らはある程度まとめて滞在し、僕は移動を続けるという、生活スタイルに違いはあったけれど、日本から東南アジアという範囲の中で、この十数年を生きてきました。


僕にとって、気の置けない、というのはまさに、彼らのことを言うのだと思うのです。それなので調子に乗ってしまい過ぎることもありますが、僕にとって数少ない、とてもありがたい存在で。旅する暮らしを始められたことも、続けてこれたのも、彼らの存在はとても大きな要因のひとつ。そんな彼らは数年前から別府に住んでいて、そのおかげもあってまた、僕にとっての別府という町の意味が変わりました。


前置きが長くなってしまったのですが、そんな彼らと昼ごはんを食べに行きました。色んな話をしながら、変わり続けてはいるけれど、変わらない二人に安心してみたり。場所を変えて行ったソンヨルには実は、初めてお邪魔したのですが、ちょうど二周年のお祝いが届けられるタイミングでした。もう、そんなに月日が経ったのですね。そういえば開店時、最初のお客さんは彼だったはずです。早いなぁ。


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 竹撮りの翁のお宅にもお邪魔しました。久しぶりに朝見の坂を登るとしんどくて。アトリエに泊めてもらっていた頃は、お酒を呑んでこの坂を登っていたのに。運度不足であり、年を重ねたということですかね。今回の翁は、ここ近年でいうと一番、意欲に溢れていました。元来、好奇心の塊で意欲的に行動する方ではあるのですが。竹細工のことをまとめ、鏝絵のことをまとめ、スッキリされたのかもしれません。


最近、細々と作成している ZINE を渡すと、思いのほか喜んでもらえました。こうやってカタチにして持ってきたのはあんたくらいじゃ、と。写真を撮ることに関して大きな影響を与えてくれた翁に喜んでもらえたことで、どこかホッとした自分がいました。そして、今の翁が燃えている写真部の話を聴きながら、仲間に入れてもらえることを光栄に思いつつ、写真をよく知らない自分で大丈夫かなと思ってみたり。


その週末には、写真部の理事長となる予定の方と三人で、湯布院で行われていた写真展に向かいました。ちなみに、翁は名誉顧問だそうです。そして、最近入り浸っているらしいカフェにも。その道中で、さすらいの写真家と紹介され、その辺りはもう諦めつつ、新しいご縁を素直に喜んでみたり。こんなちょんまげ頭にサンダルで、頂いたばかりの羽織を羽織っていたので、多少はそれっぽかったかもしれません。


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 さてさて、別府での時間も今日で13日目となりました。相変わらずあっという間です。滞在期間の目安としていた二週間まであと一日。もう少し延ばした方がいいような、盛岡までの道中の、三津や長野への寄り道を考えると、週明けには出発した方がいいような。何にせよ、GWの移動が始まる前には、盛岡の家に辿り着いておきたいのです。その頃で、盛岡の家を出発して二ヶ月ほどになりますし。


何となく今は、別府でまだやることがあるような、そんな気がしています。やろうと思えばいくらでも、手伝えることは生まれてくるのでしょうけれど。何でしょうね、この感覚。そんな、言葉にならない何かを大切にした方が、この先の時代には善いのだと思っています。もしかしたら、移動の前のいつもの不安が現れているだけなのかもしれませんが。さてさて、どうなることやら。


何にせよ、次の便りを書く頃には、僕は盛岡の家で過ごしているのだと思います。そこまでの日々をどう過ごすのか。可能な限り思考は手放して、自分の心に従いながら過ごせるといいな。自分に素直に、正直に生きること、それが何よりだと思うのです。その上で、心穏やかに丁寧に、日々を過ごしていけると嬉しいです。少しでもそんな自分に近づけるよう、この先も愉快に旅する日々を重ねていきます。




二〇二五年四月十一日

小林 豊





2025/03/28 HIROSHIMA / HIROSHIMA / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/04/06 BEPPU / OITA / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/04/10 BEPPU / OITA / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi






おわり




” 「 旅の途中の 」では、旅先から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。そんな便りの中で僕の、日々の些細な出来事を通じた気づきを貴方に共有させてください。それが結果的に、互いが生きる日々にとって、より佳きものになれば幸いです。”




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