– 旅が僕に教えてくれたこと –
小林 豊、という人間が旅を重ねてきた中で、自分が体験し、感じたことを自由に綴るエッセイ、「 旅が僕に教えてくれたこと 」。7回目となる今回の投稿では、自由と安定の共存、というテーマで言葉を綴りました。
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僕の思う自由と安定は今、共存しています。今僕が旅を続けながらこうして生きていること、それが何よりの証で、僕にしかできないことだとは思っていません。1歩を踏み出して、できるようになるまで継続しさえすれば、誰にでもできることです。
自由と安定。
相反するとイメージしてしまう、このふたつの言葉。
実は同じ場所に存在することができるのです。
日本の神託カード、というオラクルカードを僕はいつもバックパッックの中に忍ばせているのですが、このカードのうちの1枚、「 冒険するガジュマル 」というカードの説明にこのことが書いてあります。
固まった思いに囚われないでください。私たちは旅をする樹。樹でありながらなんとも自由です。ありとあらゆる形に枝を伸ばし、根をのばし、私たちは歩きます。自由と安定は同じ場所に、共に存在することができるのです。安心して自由を獲得しなさい。
ガジュマルの樹は日本では九州の屋久島と種子島以南、主に南西諸島などに分布し、国外では台湾、中国南部やインドからオーストラリアなどにかけて自生している樹で、僕が初めて見かけたのは、ふと思いついて、初めて海外に旅に出かけた時のタイでした。
何ともいえない雰囲気を持っていて、中には樹に布が巻かれているものもあり、ガジュマル独特の枝から垂れ下がり幹のようになった気根の間に小さな廟を置いて、神聖な存在として奉られていました。
その枝から垂れ下がった気根が大地に根を張り、そして幹のようになって、元の幹が充分な栄養を得れず枯れていくと、まるで樹が歩いたかのように、ガジュマルの樹は移動していくそうです。
今回のテーマである、自由と安定。自由とは何なのか、安定とは何なのか、この定義は人それぞれであって一概には表すことのできないことです。なのでまずは、あなたにとっての自由はどういう意味なのか、安定はどういう意味なのか、よかったら少し、それらについて考えてみてください。
例えば、経済的な自由さと経済的な安定、例えば、心の自由さと心の安定、例えば、心の自由さと経済的な安定、など、どんな自由さなのか、どんな安定なのか、自由と安定とっても、細かく表せば表すほどいろいろありますし、そうなると組み合わせもより多様なものになります。
自由は不自由、これは今の旅人生活をしはじめた頃、人から「 自由で良いよね。」と言われる度に、自分の胸の中から自然と生まれた言葉です。当時は自由な部分しか見られないことが嫌だったみたいで、「 そう思うんなら、実際にやってみれば良いじゃん。」なんて反発心が胸の中で沸き起こっていました。
旅人生活を続けているうちに、自由には自律が必要、と今はひとつ、それを表す言葉になっています。だから不自由と思うのではないかなと。例えば、予定がなければいつまでも寝ていても良いんです。次の日も、また次の日も。けどそれだと僕の自由さは続かないので、自分を律して毎日を過ごすこと、それが必要不可欠だと思います。
安定といえば多くの人が収入の安定を思い浮かべるでしょう。安定的に必要以上の収入があること、つまり経済的な安定です。それにきちんと、心の安定も付属しているといいですね。
そちらの方が大切なことだと僕は思っているので、経済的には安定しているけど、心は安定していない、むしろ大変な状態の人を見ていると「 なんでそこまでしてしがみつくのだろう。」って、何ともいえない気持ちになってしまって。
けどその人はそれを求めているから、その状態が必要なのだ、それが今の僕の人との関わりの中での受けとめ方です。こちらの正しさを押し付ける気がないから、もともとは人に正しさを押し付けられるのが嫌だから、だから相手の基準で相手の言動を測れる自分でありたいと思っています。
僕も含め、多くの人は人は不安の中で毎日を過ごして、その状態には安定という言葉はないのでしょう。「 できないかもしれない。」「 失うかもしれない。」など、起きてもないことに対して一生懸命心を砕いています。
以前、不安と安心について考えていた時にふと思い立って、安心とは何なのか、それを辞書で調べたことがありました。
安心とは、気にかかることがなく心が落ち着いていること。
気にかかるとは、心にかかって離れず、心配であること。
心配とは、物事の行き先などを気にして、心を悩ませること。
これらの言葉を合わせると、この言葉たち心配も気にかかることもなく、心が落ち着いていること、それが安心、ということになります。
不安も安心も、自分の外側の出来事、つまり外的要因から生まれます。例えば、お金が足りないことで生まれた「 明日の家賃の支払いができないかもしれない。」という不安。それが安心に変わる時は、支払いができる、もしくは、しなくても良くなった、など、不安に思った出来事が解消されることで安心を手に入れます。
そして面白いのが、安心は継続されないのです。支払いができないかもしれない、と1日2日不安だったとして、それが、大丈夫、な状態になった時安心を得るのですが、同じように1日2日安心が続くかというと続かず、それでチャラになって心の引っかかりが消えてしまいます。
この、支払いできないかもしれない、という出来事から生まれた不安も安心も、出来事を活用して自分の内面から生まれたものであり、実は存在していなくて、でも、その不安や安心を生み出した原因は僕らの内面に存在しているようです。
僕にとっての自由は、自分で選択できること。3つ以上の妥協していない選択肢があり、その中から自由に自分の望むものを選ぶことができる状態、それが自由だと思っています。
「 お金がないからできない。」なんて思考は妥協そのものだと思っていて、目的を達成するための手段を勝手に諦めただけのこと。選択の先には目的があって、目の前にある選択肢はその目的を達成するための手段が並んでいる、ということでしかありません。
お金という万能ツール【 旅しているから見える世界 】#6 でも述べた通り、お金は僕らが欲しいモノを手に入れることをわかりやすくしてくれている、万能なツール、つまり手段のひとつで、手段がないからやりたいことができません、なんて状態はほんと不自由だと思います。
自由に自分で選択していくためには、目的に向けての手段を何種類か考える必要があって、「 どうやったら ○○ することができるんだろう。」という問いは、目的を達成するために僕がいつも自分自身に問いかけている言葉です。
僕にとっての安定は、心穏やかに毎日を過ごすこと。外的要因に左右されず、自分の内面が穏やかであることです。どんな状況でも柔軟に、自分の人生を穏やかに全うしている状態、です。
これが、律する、という部分につながってくるだと思います。毎日瞑想したりして自分の感情を手放したり、時間に余裕を持って過ごして、心にも余裕をつくったり、自分が欲しいモノをハッキリとさせて、それを手に入れる手段をいろいろと考えたり、大切な仲間とダイアログして過ごしたり。
律する、といってもガチガチに規律正しい毎日を過ごしている、ということではなく、むしろ緩めに、自分自身に許可を出して、少しずつ自分を認めながら、目の前に起きる出来事に対して柔軟に。そうやって心穏やかな毎日を過ごせるように努めています。
僕にとっての自由、僕にとっての安定を書いてみましたが、あなたにとっての自由、あなたにとっての安定は、どんな状態ですか。まずそれが自分の中で見出せないと、今回の話は全然腑に落ちないものになるのかもしれません。
僕はこの、自由と安定は同じ場所に共に存在することができるのです、という言葉を初めて読んだ時、今まで考えもしなかったことだからとても驚きました。そしてそれから、この言葉の意味を理解する過程で自分にとって都合のいい解釈をつくり出したのかもしれません。
それでも、僕の思う自由と安定は今、共存しています。今僕が旅を続けながらこうして生きていること、それが何よりの証で、僕にしかできないことだとは思っていません。1歩を踏み出して、できるようになるまで継続しさえすれば、誰にでもできることです。そう誰にでも。
僕と同じ生活はしないにしても、いろんな選択をして、いろんな自分に許可を出して、いろんな自分を自分で認めて。自分で選択していることの自覚、そして、自分に許可を出して自分で自分を認めること、それが毎日の中で起きれば、視界も感覚も人生も大きく変わっていきます。よりシンプルに、より楽しく、より幸せに。
そんな自分の人生を生きていくためのきっかけになるとうれしいですね。
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これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO
1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile