デクノボー。| 歩く速さで #045 – 2025.12.14 –



Ver.1.0.0



– 現在地からの、友への便り。-






– デクノボー –


大雪 二〇二五年十二月七日〜十二月二十一日




 変わらず元気にしていますか?僕はそのまま、盛岡で過ごしています。二週間と少し前から坐骨神経痛らしきものになり、労わりつつも普通に過ごしていたら、地震のあった火曜日から起き上がれず、布団に横になって安静に過ごしてきました。今はもう立ち上がれるのですが、一番ひどい時には立ち上がると激痛で。トイレに行くのに一苦労でした。やっとの思いで便座に座っていてもお尻が痛いし。


腰や背中からきているなぁと、朧げに思っています。寒くなってより動かなくなったし、日頃の運動不足も影響してしまったのか。腰にくるのも痛いですが、坐骨神経痛もまた痛いものですね。その昔、フットサルで痛めてしまった足首の、古傷の痛みも相まって見事なデクノボー状態です。そんな時は家族のありがたみが余計に沁みますね。横になっているしかできないので。妻と子に感謝です。


多分人生で初めて、こんなに寝たきり状態になりました。まだ入院したこともないので。今だからその状況を素直に受け容れられたけれど、前の自分なら何も役に立てていないことに耐えられなかったかもしれません。そこにいる価値もない、なんて考えてしまって。けれども、そんなことはないのですね。もちろん、一緒にいる人がどう思っているかにもよりますが、僕は安静にしていてもいいのだと思えました。


*


 まだ足がそんなに痛くない頃に「 銀河鉄道の父 」を観ました。この映画を観て思うのは、自分はこの宮沢賢治の父のように、息子の可能性を素直に信じ、葛藤はあったとしてもそのまんま受け容れて、無条件に応援することができるだろうか、ということです。しかも、今よりもより常識や体裁を重んじていた時代に、ですよ。三人の息子たちとの関わり方と自分の在り方を、改めて考えさせられました。


そんな流れもあって、図書館で「 雨ニモマケズ 」を借りたのです。この詩を知った頃は、一日に四合も米を食べるのすごいなと、そこばかり気になっていたのですが、今回は「 ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ 」の部分が、自分の中に強く残りました。元々、贈与の循環とか言ってお金を稼ぐことに意欲的ではない僕は、社会にきちんと従っている人からすれば、ただの役立たずです。


しかも今なんて、横になって安静にしているので余計に役立たずです。この一週間は家事もほぼできていませんし。でも、それでも、自分が木偶のぼうだとしても、褒められることもなく、どうでもいい存在であったとしても、己の心に従って生きることを続けていくことを選びます。人から評価は脇に置いて、自分が好きで心から愉しめることをただ続けながら。「 サウイフモノニ ワタシハナリタイ 」です。


*


 こんなことを書いていると、何か揉め事があるたびに父から言われていた言葉を思い出しました。それは、「 お前が何をしてくれたいうんね。」という言葉です。あの当時、朝から夜遅くまで働いていても、きちんと給料を取ることができない自分としては絶望的で、我を忘れてしまう言葉でした。父からすれば、重要な部分からズレていたのでしょうね。つまり、家業においても我の強いだけの役立たずでした。


父は、自分に期待してくれていたのだと思います。そして、僕も応えたかったし、認めてもらいたかった。けれども、その掛け違いを理解し合うことなく、僕は建築の世界を離れました。今でもですが、若い頃はさらに何もわかっていません。自分の興味から集めてきた情報をもとに、まるで特別な人間であるかのように背伸びをして。今思うと、何者かになりたかった。自分とは違う、立派な誰かに。


そうやって、家業を立て直したいと思っていました。実際、あの頃の自分でも、ある程度成果が出た時に驕ることなく、父や職人さんたちときちんと話し合いながら積み重ねていれば、違う未来に辿り着けていたでしょう。ある程度立て直って、問題なく暮らしていたのかもしれません。けれども、あれはあれでよかったのだと今では思えます。どれも、最適な出来事が最適なタイミングで起こっただけです。


*


 思い返せば恥ずかしくもあり、悔しくもある出来事がたくさんありますが、それらがあってくれたおかげで今の自分があるので。あの当時は外側からの評価ばかりを気にして生きていたので、失敗しないように必死でした。けれども今は、基準を内側に戻せたので人の評価はほぼ気にならないし、失敗も存在しなくなりました。あの当時の自分と今の自分との違いが、とても大切なことを教えてくれています。


おかげで、自分を生きるということに目が向けられたのだと思います。他の誰かになることも、誰かの評価を気にすることも不要で、自分が好きなことや望むことを心から愉しみながら行い続けること。人生とはその一点に尽きるのかと。誰かのせいにして立ち止まるのであれば、誰かのために生きるのはやめた方がいい。自分の人生は自分にしか生きられない。決めるのもやるのも生きるのも全部自分です。


そのための状況や環境をどう作るのか。そして、どうやって継続していくのか。それを考えて実行していくのは、とても愉しいことですね。この先の世界ではますます、我慢や頑張りではうまくいかなくなるようですし。だからこそ、自分が愉しいと思えることを行い、価値と価値とを巡り合わせて。そうやって、これまでとの違いから学び、どう一元に向かうのか。そこに事の本質が隠されているのだと思います。


*


 さてさて。もうすぐ冬至を迎えますね。陰極まりて陽となる。一昨年と去年は精神的な部分で自分なりの陰の極みに向かいましたが、今年は肉体的な部分で陰に向かっている気がしています。この流れできっと、自分の身体の中にある澱みはご破算になるはず。ありがたいことです。しかも、畳での暮らしを愛する僕にとって、座れないことがどれほど問題になるのか、身を持って教えてもらいました。


とはいえ、こんな内容の便りを書いている時点で、精神的な部分も陰の極みに至っているのかな。もともと根が暗いので、これが標準なのかもしれませんが。何にせよ、暦は冬至を迎えて一陽来復、陽の極みに向かって進んでいきます。次の夏至を迎える頃には、僕はどこで何をしているのでしょうか。それがわからないから面白いのだと、今では思えます。未来は、来てみないとわかりません。


日々を愉しみ、歓びながら、ご縁のある人たちと共に心から笑っている、そんな未来がいいなぁ。そして、僕のような役立たずも社会の一員だと認められる世により近づいて。察することも、役に立とうとすることも、評価されることも不要で、それぞれが己に従いながら今という瞬間を心から愉んでいる。そんな未来への想いも含め、夏至の日に僕がどこで何をしているのか、自由に描いてみることにします。




二〇二五年十二月十四日

小林 豊





2025/11/29 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/12/04 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/12/06 KAMAISHI / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi






おわり




” 「 歩く速さで 」では、小林豊の現在地から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。そんな便りの中で僕の、日々の些細な出来事を通じた気づきを貴方に共有させてください。それが結果的に、互いが生きる日々にとって、より佳きものになれば幸いです。”




よかったら、こちらの投稿もどうぞ。



    




[ お知らせ ]

◻︎ 応援してもらえると嬉しいこと。| お知らせ【 12/18(木) 】
◻︎ 暮らしている場所の予定、などを更新しました。| お知らせ【 12/15(月) 】
◻︎ 2025-2026 応援・支援募集のお知らせ。| お知らせ【 8/23(土) 】


[ ここ1ヶ月の人気の投稿 TOP5 ]

No.1 – 夫婦とは、どうあるべきなのか。| いま、ここにあるもの #104
No.2 – 旅の始まりに掲げた言葉。| 歩く速さで #043 – 2025.11.14 –
No.3 – 「 ある秋のこと 」| 旅路 #016
No.4 – そこにある物語を、素直に切り取る。| いま、ここにあるもの #149
No.5 – 一元を歩く。| 歩く速さで #044 – 2025.11.29 –





スキナトキニ
スキナコトヲ
スキナトコロデ

これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。




最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。



BLOG TOPへ

– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO

TOPページへ