– COBAKEN のひとりごと。-
自分が生きていくために必要な収入、必要な価値は今、おかげさまで得ることができています。だからこうして僕は生きているわけです。ただ、これから先、自分が成し遂げたいことに対しての収入を得ることができない、20 代の頃からずっと、そんな想いを抱いてきました。
そんな想いの原因が紐解けたように思える出来事があったので、今回はそれについて、思うままに書き記してみます。
【 スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ 】
今、いろんなところに書いているこの、スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、という言葉。それができる収入が欲しい、そんな風に想いながら、ここ十数年を生きてきたのですが、一向に収入は上がらず。うまくいきかけては自爆する、そして、自分なんて生きている価値がない、と自分を責める、そんな物語を繰り返してきました。
ふとある時、ダイアログをしていて気がついたのです。収入、とか、年収、って言葉自体が自分にとっての壁だった、ということが。人が勝手につくり出す思い込みって不思議なものです。
そもそも、お金は自分のものではありません。日本円の紙幣は日本銀行が発行した銀行券であり、貨幣は政府が発行し日本銀行から世に流れていくものであり、実際のところ所有権は僕らにありません。
だから自分のお金、人のお金、という概念自体がエネルギーを受けとる邪魔をしていたのです。自分が働いて得たお金を自分だけのものだと勘違いしていた自分がいることに気づきました。それに、それが自分の価値を表すものだと見事に思い込んでいました。特に明確なルールも期限もない、勝ち組負け組を決めるというゲームにいつの間にか参加していたのです。
それに自分の器も追いついてなくて。せっかく受けとったエネルギーを抱えきれず、自分の無価値観もあってか器を引っくり返す、そんなことが続きました。今、こうして生きているということは、生きていくことに必要な分だけのエネルギーは器用に受けとっていたのでしょうね。
お金とはエネルギーを表すもので、受けとったエネルギーはまわりに巡らせるものだということを知りました。自分が生まれ持った役割を果たすために必要なエネルギーが自分に巡ってきて、それをまた必要としているところに巡らせていくのです。
種を運び、春を告げる、そんな僕自身の役目を果たすため、そのために必要なエネルギーを得る、そしてそれをまわりに巡らせる。それを繰り返しながら、感謝の想いを巡らせて、それをどんどん広げていく必要があります。
ただ、このことについて僕はまだ、頭でしか理解できていません。
それと、どうしても必要で以前、個人的に貸してもらったお金を 5/9(月) までに返すことに決まりました。あともうひとりお金を借りている人がいるので一緒にお返しするとして、170 万円ほどの日本円を手にする必要ができました。どうしようもない時に助けてもらったという感謝の気持ちを相手に返したい、感謝の想いを巡らせたい、今はとにかくそう思っています。
だからこそ、自分の持っている器に入ってきたエネルギーをまわりへと巡らせれる、そんな自分がいるということを実感したいです。そうすれば、自分も自分のまわりの人も、しあわせであるためのきっかけをたくさん手にすることができる訳ですしね。
【 結果として生まれた、お金に対するネガティブな印象 】
僕が家業で働いていた当時、毎月 45 ~70 万くらいのお金を借金返済のために準備してきました。うちの売り上げからすると、見事なくらいに債務超過です。父にはお小遣い程度しか、しかも不定期にしかお金を渡せない、母にも元妻にも生活費をほとんど渡せない、そんな悔しい想いを重ねてきました。
それでも必要だからってセミナーや集まりには顔を出して、採算がより合わなくなる道を進んだのです。自分が認めてもらいたいがために。そんな僕の頭の中には自分が成長して自分がどうにかしなければならない、その想いで見事に盲目になっていました。
反対に、ピークでは月に、諸々合わせて 100 万円近くの収入を得れていた頃もあります。年収 1,000 万円をひとつの目標にしていたので、これが継続すると年収 1,000 万円なんだ、とぬか喜びをしたこともありました。それも結果、返済ですぐに消えてしまいましたが。
家業に着いていた頃、お金をつくっては消えていき、またお金をつくっては消えていき、その結果、僕のお金に対する印象は見事にネガティブなものになったのです。
この前母と話していて気づいたのですが、自分がそのお金を支払う時にネガティブな感情をのせて支払っていたから、だからネガティブなものが還ってきて当然なんだと。借金の返済の他にも業者さんへの支払いがあった訳なので、巡らせるエネルギーの量としては今とは比べ物にならない量を巡らせていました。ただ、そのエネルギーにのせていた感情がとてもネガティブだったのです。
そして、やっぱり自分は生きている価値がないんだ、というパターン、もしかしたら魂のくせなのかもしれませんが、うまくいき始めるとそこに持っていくための出来事をつくる、そのくり返しでした。
【 自分は生きてるだけで価値がある、それを実感するための物語 】
一昨日の立春でまた、自分は生きてるだけで価値がある、それを実感するための物語を過ごしたい、そんな自分の想いに触れました。次の立春はそんな自分で迎えたい、って。それはきっと、ずっと繰り返してきた、自分には生きている価値がない、という想いの向こう側にあるのだなと思っています。
それに昨日の夜から今日の午前中にかけて、自分を最優先する、自分を大切にする、そんな自分であろうと再確認しました。自分を最優先するから自分のまわりの大切な人たちを大切にできる、今はそう思っています。しかもそれを自分ごとで行える自分にもなれますし。
実際、僕という存在に価値があるかどうかなんて、受けとる人それぞれの価値観次第です。だから、僕に価値を感じない人にとって価値はないし、価値を感じる人にとっては価値がある、ただそれだけのことだと思えるようになりました。それに人それぞれのタイミングもありますしね。
胸を張って心から笑うこと、何でも選択できるように真ん中の自分で居ること、自分とのパートナーシップを高めること、自分の体験を子供たちに遺すこと。これら、今の自分に必要だとまわりとのダイアログで教えてもらったことたちをまた1歩ずつ積み重ねて、自分は生きてるだけで価値がある、そんな心からの実感を得ている未来に向かってみます。
乗り越える必要がある壁が明確にわかれば、あとは乗り越えるだけなので。自分が眠っていることに気づいたら、半分目覚めたようなものだ、とも言いますしね。
おわり
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これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO
1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile