人は考える葦である。| 旅の途中の #023



Ver.1.0.0



– 旅先からの、友への便り。-






– 人は考える葦である –


小寒 二〇二五年一月五日〜一月十九日




 僕はまだ、雪が降ると心が躍ってしまう、雪国暮らし初心者です。雪が降った日の朝、ごみを捨てに行って帰る道のりで写真を撮りたい箇所が多く、普段よりもだいぶ時間がかかってしまいます。白い世界には毎年、心を奪われるのです。目の前に広がった海を眺める時とはまた違った、何ともいえない感覚が自分の中に湧き起こります。そんな景色をいつか、貴方にも見てもらいたいな。


小寒の間にはさすがに、雪かきをする機会もありました。降りたてのさらさらの雪はとても軽く、建築時代に体験したスコップで土を掘ることに比べると、いい運動になる感覚です。盛岡はあまり雪が降らない地域だからそう感じられるのだと思いますが。あと、僕は自分のタイミングで雪かきするからいいけれど、朝の出勤前や営業前、帰宅後に凍った雪をどけるとかだと、嫌になってしまうかもしれませんね。


それと、水栓の水抜きをする機会も何度かありました。雪国の住宅は、家の中から箇所ごとに止水栓を閉められるのが便利です。それでも、連日になるとめんどくさくはありますが。それに、水道管にヒーターが巻かれているので、水を出した時に温かいが面白いです。うちのアパートでも、ー10度弱までは大丈夫なのですが念の為、ー7、8度になる予報であれば水抜きをして眠っています。


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 冬休み中の三男とイオンに行った時、クレーンゲームをやりたいと言い出しまして。それなので、お年玉から五百円ほど使うことになりました。ドラクエのスライムの大きなぬいぐるみ狙いで、500円で3回の機械です。正直、もったいないなとも思ったのですが、これも彼の望む体験だから、なんて思っていたらなんと、一回目でゲットしたのです。本人も驚きで。そして、大喜びでした。


うまくいかないと決めつけてしまうなんて、それこそ勿体無いですね。どんな状況でも可能性を信頼すること。頭ではわかっているのですが、つい決めつけてしまう自分がいます。もちろん、うまくいかないこともあります。それでも、失敗は成功の母であり、必要は発明の母であり。うまくいくための、何かを生み出すための過程でしかありません。思いがけずそんな、佳き学びを得ることができました。


そのまま今も盛岡の家で過ごしながら、そんな冬の時間を過ごしています。そして三男は、三学期が始まりました。アトピー気味な彼は、空気が乾燥してくると余計に痒くなり、肌を掻きむしってしまいます。また今年も顔まで傷だらけになってきました。夜、痒みで眠りが浅いことも多く、遅れていくことや肌の療養のために休むことも。このこともまた、親である自分らに考える機会を与えてくれます。


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 話は変わりますが、物々交換や贈与の循環の試みも、何だかんだで十三年目に突入しています。アウターにデニムに、靴にカメラに、精米器にコーヒーミルに。僕の暮らしにはたくさんの、人から贈ってもらった物が溢れています。そして昨年、車をいただきました。ありがたい限りです。生活に必要な物を受け取りながら生きていくことは可能である、という確信は、より大きなものになっています。


身に纏うたびに、使うたびに、ありがたさに包まれる今の暮らしは、温もりも幸せも溢れています。誰かが僕のことを想い、贈ってくれた物たちに囲まれながら生きる日々は、とても豊なものです。中には形見となってしまった物もあり、使うたびに友人を偲ぶ機会を与えてくれます。それに、お金とは何なのか、と考える機会を何度も何度も与えてくれました。


僕としてはこの先も、生活に必要な物を受け取りながら生きることを望んでいます。わらしべ長者のように成り上がっていくつもりはありませんが、贈与の循環の中で生きていきたいです。そのためにもまずは、僕自身が贈与を巡らせながら生きることかと。これまでの体験を活かして人の役に立ち、自分が物やお金を得たのであれば、家族も含めた自分以外の誰かのために、感謝を込めて使いながら。


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 前節の便りでも触れましたが、もうすぐ立春を迎えます。自分にとっての節目であるこの日を迎えるにあたり、この先をどう生きたいのかと考える機会が増えています。前述の贈与の循環のことも含め。何をするにしても自分の中でこの問いが自分の中を巡るのです。自分に素直に、正直に。そして、人の役に立てることを。しかも、自分にとっては呼吸するかのように自然と行えることを。


改めて、自分が誰かの役に立てることなんてあるのかな、と思ってしまいます。一緒に対話するくらいですかね。ファシリテーターとして、旅や対話を通じて気持ちを楽にし、想いや人生を促すことはできるのだと思います。ただ、そうだとしても、僕のそれを必要としている人はほとんどいないのではないか、と思ってしまうのです。この数年過ごした中での、僕の率直な感覚です。


それでも、夫婦や親子、恋人同士など、身近な人との話し合いの場に混ざることが多くあったので結果的に、関係性の向上が今の僕の専門になりました。言い換えれば、身近な人との対話を通じた、自分自身との仲直りです。対話を通じて、その目的に向かうことは信頼しています。ただ、それを必要としている人がいるのかどうか。いるのであれば、それを必要としている人と、どう出逢うのか。


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 さて、僕は今年、年男です。長男も同じく巳年生まれで、僕は48歳になり、長男は24歳になりました。次男は今年、22歳に。自分の年齢もそうですが、彼らの歳を考えると時が経ったのだと実感しますね。そういえば、次男は今年が成人式だと思っていてお祝いのメッセージを送ったのですが、年を計算したら違っていました。ラインを遡ってみると、昨年も成人おめでとうのメッセージを送っていました。


九月から盛岡に居るので、時間の感覚が更に狂ってしまったのかも、ですね。しかしこれでは、二拠点生活になっていません。でも、それはそれでいいのか。きっと、そんなタイミングだということです。とにかく今は、相手の想いを尊重できる人と対話がしたいです。僕が話を聴くのでも、聴いてもらうのでもなく、お互いがフラットな状態で対話をして、そこに生み出されたものを純粋に愉しみたいです。


それと、僕自身が無意識に我慢している、抑え込んでいる自分を解き放つためにも、旧正月でもある次の新月頃に向けて久しぶりに、やりたいことを100個ほど書き出してみようかと思っています。そんなワークは本当に久しぶりですね。旅する暮らしを始める前後が一番やっていたかな。些細なことから大きなことまで、どんなやりたいことが出てくるのか、今からとても愉しみです。




2025/01/11 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/01/11 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi




2025/01/16 MORIOKA / IWATE / JAPAN
Photo by Yutaka Kobayashi






おわり




” 「 旅の途中の 」では、旅先から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。僕の、旅する暮らしの中で起きる些細な出来事を通じて、ほっとひと息ついてもらえたら幸いです。”




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最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。



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