– 旅LOG – 旅する暮らしでの心の記録
2016/12/18(日)
二十四節気 大雪 ( たいせつ )
七十二候 第六十三候 鱖魚群 ( さけのうお むらがる )
竹原の家で迎えた朝。合計9時間。久しぶりにこんな時間眠った。まだ眠れる気もするが、とりあえずはここまで。少しだけ目を瞑って、今日を描いてみた。まずは体を癒すこと。
お風呂に入ることにした。湯船に浸かって背中を温める。シャワーが続くと体の芯が冷える。それにこの3週間、特に自分と向き合った。強張った背中を温めながら浸かり続ける。
東に向かって座り、瞑想をした。まぶた越しに陽の光を感じる。冬至を迎えるまでは石を使わず、自分だけでの瞑想を続けてきた。それもあと数日。どんな自分が待っているのか。
外に出て空の写真を撮った。いい天気。そして、朝の投稿を終わらせる。心地いい音を聴きながら。今日は休日。こんな時間でも相方と話せる有り難さ。今の自分を確認していく。
下書き。1日遅れている。以前の自分と比べれば、軽い遅れではある。けど、今の自分からすれば早く終わらせたいこと。ただ、自分を責めることはなく、それもありだと思える。
ひとつ、投稿を終えた。相方に告げて、編集作業を委ねた。続けて、昨日の分の投稿を進める。下書きの下書きを終え、昨日の出来事をふり返った。それがすでに、遠い昔のよう。
集中が切れたので楊令伝を開いた。今、1番読みたかった物語。暮らしよりも、生き様の方を求めている自分がいる。それを自分なりに投影しながら、物語を読み進めていった。
母の呼ぶ声がした。台所に下りて昼ごはん。野菜たっぷりのラーメン。この山盛り感が懐かしい。父と3人での食卓。当たり前ではない。そのことを旅する暮らしが教えてくれた。
部屋に戻り、こたつに入った。窓はすべて開けたまま。瀬戸内の冬は暖かい。もうしばらくは楊令伝を読むことに。食後のゆったりとした時間。そしてまた、心地いい音を聴いた。
とても眠い。柔らかい音がイヤフォンの向こうから響いてくる。横になった。眠っているのか、起きているのかわからない。ここ最近、よくある状態。イビキをかいていたらしい。
あの意識はあるけど、不思議な状態は眠っていたことがわかった。起き上がり、下書きの続きを進める。終わらせたら墓参りに行く予定。浮かぶままに、出来事を書き出していく。
着替えて外に出た。文庫本とカメラをお供に。心地いい音を聴きながら。町並み保存地区を歩く。見慣れた景色。それでも変化は必ずある。僕らのこの世界は変わり続けるもの。
お寺の石段を登る。墓参り。4箇所を巡った。その最中もずっと、心地いい音を聴き続けた。そして不協和音が生まれる。先週と同じ課題。それをまた二人で見つめる機会を得た。
駅の方へと歩いていく。見事な不協和音。自分の中のフラストレーションも飛び出していく。腹に溜め込んできた怒り。それが昇華していく感覚。これもまた必要な出来事みたい。
やっとヒロハウスに辿り着けた。珈琲を注文する。竹原に帰ってきた感覚。いつもの音。それが自分の中に響いてくる。すぐにもう帰る時間に。今日はここまで。また別の日に。
家路に就いた。再び、心地いい音を聴く。いろんな感情を解放した後の音。力のない、弱々しい音が聴こえてきた。それもまた必要な出来事。自分にとっては何を手放す時なのか。
家に入る時、たけとが来た。かいとはもう家の中に。元気そうな二人の姿を見る。無条件で嬉しくなる。二人とももう、身長も変わらない。出逢う度に成長した姿を見せてくれる。
父と母と5人での晩ごはん。おかずの減りが早い。さすがの若さ。この食卓も当たり前ではない。それも旅する暮らしが教えてくれた。だからこそ、この瞬間を素直に喜べるもの。
食後はそのまま、ゲームが始まった。トランプにオセロ。その姿を眺める。自然に沸く笑い声。これまでにない良い時間を過ごすことができたと思う。また何か変わったのだろう。
お風呂でゆっくり体を温めた。風呂上がりにまた楊令伝を読む。パソコンはもう閉じた。眠る準備をし、心地いい音を聴いた。心穏やかに。あともう少し。冬至の日がやってくる。
1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
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