満月の夜に、いろいろとふり返りながらひとりでダイアログ。




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今日の 10:47 に満月を迎えました。


新月の夜にひとり、投稿しながらのダイアログ。
http://cobaken.net/index.php?QBlog-20160110-2


この新月の夜に書いた投稿をもとに、ここ2週間の間に起きたことや気づきなど、また思いついたままに書き記しながら、ふり返りなひとりダイアログをしてみようかなと思います。


大きな満月


前回の新月の投稿に書いた、満月の日に収穫したいことは、


□ 5 ~ 6 年前、2010 年頃の記憶を取り戻すこと

□ 誤解されていようが、自分を貫き、まわりを信頼できる自分


この2つでした。


今回の新月から満月の間が水星と木星の逆行期間ということで、過去に置き去りにしていること、その部分に目を向けられるといいな、と思って書いたのですが、今月はおかげさまで、過去のいろんな自分に出逢わせてもらっています。そして、そこから目を背けない自分がいることもわかりました。

自分とのコミュニケーションがうまくいかない期間、水星の逆行とはそういう期間なのかな、と今回思いました。自分とのコミュニケーションでうまくいっていない部分に目を向ける機会の多い時期だなって。収穫したいことのひとつめ、5 ~ 6 年前、2010 年頃の記憶を取り戻すこと、なんてまさに、自分が目を向けたくない自分がたくさんの頃なのです。


この前、6年ぶりの再会を果たした女性がいて、彼女と話している中で当時の自分のことを何となく思い出す機会がありました。翌日、別の女性と再会した時に、4年前に初めて出逢ったと Facebook が教えてくれた、と聴きました。

結局、今の自分と根本は変わらない自分がその頃にもいました。違う部分をあげるとすれば、僕が正しいと認めてほしい、否定される状況は欲しくない、という自分の中にある怖れが、今よりも格段に言動に表れていたのだなと思いました。

結果としては、少しだけど今必要な分だけその頃の自分を見つめる機会を得ることができました。ひとつずつ、ひとつずつ、これからも必要な自分に目を向けることができるといいなと思います。




もうひとつの、誤解されていようが、自分を貫き、まわりを信頼できる自分、に関連した話なのですが、先日、Facebook の僕の投稿をシェアしてくれた人がいて、誰がシェアしてくれたんだろう、ありがたいな、って思ってクリックしたら知らない人。誰だろう、なんて思ってシェア時に一緒に投稿されていたコメントを読むと、


「 うさんくさいやつの成れの果て 」


って書いてありました。なんて的確な表現をするんだろう、と笑いました。その時は自然とそう反応していて自分でも驚いたんです、腹が立たないことに対して。だって、実際に出逢ったことのある人の多くが、僕が何しているかわからない、訳ですから。出逢ったことのない人はそれはそれは、相当うさんくさいでしょうね。ごもっともだと思います。


それから数日、今度は WORLD PEACE BOOK CAFE のことを Facebook に投稿したら、またシェアしてくれた人がいて。前回と同じく、誰がシェアしてくれたんだろう、ありがたいな、って思ってクリックしたらまた同じ人で、今度は、


「 乞食だな、こいつ 」


そのようにコメントして投稿してくれていました。


このことで思い出したのですが、以前こんなことがありました。

ブログに投稿したタイトルを読んで数人の地元の先輩方が話題にし、コメントで苦言を呈していただきまして。この前そのコメントたちを読んでいると、投稿したブログの本文は受けとってもらえてなかったんだろうな、と改めて思いました。その時は、当時の僕に対する印象に加えて、タイトル自体が気に入らなかったのだろうなと考えています。


ここ数年、旅先で出逢った人たちとダイアログを重ねてきて、この先とても重要になることのひとつに、基準の置き所、があると考えています。自分の基準を相手に押し付けて接する人たちがいます。自分の基準を相手に押し付けながら相手に意見を言う人たちがいます。

自分に基準があるのだから、相手にも基準はある、ということになります。でもつい、自分の正しさの方が大切になるのですかね。今はこんなこと言っていますが、他でもない僕自身がそうでした。これは僕自身が気をつける必要のあることなのです。


自分と相手の基準は同じで、違うことを言われたくない。とにかく、自分は正しいでしょ、なんでわかってくれないの、ってそんな想いを持って毎日を過ごしてきました。今よりももっと、自分で自分を認めることができない、だから誰か認めてよ、そんな胸の内で過ごしてきました。

どんな基準で判断するのか、それもとても大切なことですがその前に、基準がどこにあるのか、これもとても大切なことだと考えています。自分の基準で自分のためのものであり、相手の基準は相手のためのものであり、共通の基準はお互いの合意を持って事前に設けるもの。


それぞれが思っていることを自由に話せる環境、それがダイアログの場です。それを繰り返してきたことで、逢ったこともない知らない人に自分のことを言われるのは問題ない、そんな自分になっていたようです。Facebook の件もまた個人の意見な訳で、へぇそう思うんだ、と受けとめることができました。

もしかしたらまだ、身近な人たちに理解してもらえなかった、ということに対して反応するかもしれません。人を理解しきることはできない。その結果、人に想いを伝えきることもできない。コミュニケーションについて学べば学ぶほど、そんな仮説が確信を得てきました。

ただ、相手の想いに沿うことはできる、これも確信を得ました。寄り添う、のではなく、沿う、です。相手の想いに沿う、相手の基準に沿う、相手のシアワセに沿う。そんなコミュニケーションをとることは可能です。




それと今日、ひさしぶりに出逢った友人とダイアログしていたときの気づきがあります。

昨年末くらいに、選択肢、についてふと思ったことがありました。それを簡単に説明すると、プラスとマイナス、ポジティブとネガティブ、陰と陽、その対極の存在があって初めて、選択肢として成り立つ、そんな発見です。

人はプラス、自分にとっていい方の選択肢ばかりを頭に並べて、マイナスの選択肢は並べないどころか、全く目が向かない、選択肢として気づくこともできない場合もあります。


僕は、どうやったら旅する生活を続けることができるか、そればかり考えながらここ数年を生きてきたのですが、選択肢として、旅する生活をやめる、ということが必要なのに、それを選択肢として並べようともしませんでした。

時々出逢う、もうすべてを投げ出したい、と力が入らなく自分で、旅人生活をやめる、という選択肢に目を向けて、それでも続けたいから、と立ち上がってきたのだと思います。




最後にもうひとつ、そんなダイアログを終えて宿泊先に向かって歩いている時、こんな言葉が頭に浮かびました。

自分が相手を信頼するから、信頼してもらえる。自分が相手を好きになるから、好いてもらえる。その信頼する相手がまた出逢いをくれて、その相手もまた自分を信頼してくれる。




これらを踏まえて、誤解されていようが、自分を貫き、まわりを信頼できる自分、をふり返ると、いつも自分の音に耳を傾けながら、基準の置き所を意識して自分や相手に沿ってコミュニケーションをとり、まずは自分から信頼すべき人を信頼する、そんな自分を保つことができればすでに、誤解されていようが、自分を貫き、まわりを信頼できる自分は存在している、ということでした。

とにかく、人から否定されることが怖くて、それで胸を張ることを避けてきたことなのだと今なら思えます。ここ数年の旅する生活の中でそんな怖れや思い込みをひとつずつ手放して、こうして自分に目を向けることができるようになってきました。

そんな自分を踏まえて、次の新月は何を願うのか、毎日を過ごしながらぼんやりとイメージしてみようと思います。




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