FIND THE WORLD 5th season
Chapter.YU-28
沖縄県宮古島市 – MIYAKOJIMA/OKINAWA/JAPAN –
2015/10/29〜2015/11/03
– 旅LOG – 旅人の日常の記録
日本から東南アジアまでを旅しながら生活する 小林 豊 の旅先での暮らしをお届けします。旅先での人や街との出逢い、そしてその町の生活を感じ、そんな旅人の日常の記録です。
– 自分を知る旅、それはダイアログのある日常 –
掃き出し窓から朝日が差し込んでくる。それに朝の涼しい風も。
約2週間前まで東京にいた僕としては、未だに沖縄の気候が不思議に感じます。北海道では雪が降っているというのに、東北では紅葉がとてもキレイに色づいているのに、ここには夏の要素がたくさんあって。先に書いた窓を全開にして眠れることや、部屋の中ではタンクトップと短パンで過ごしていること、何より日中街を照らしている陽射しの色が違って見えるのです。
今、泊めてもらっている家の家主の やっしー もちょうど起きたみたいで「 こばけん、おはよう 」「 おはよう 」と挨拶が飛び交いました。僕は布団から起き上がる前に右足を曲げて両手で抱え、胸の方に引き寄せてからストレッチ。寝ている間に縮まっていた筋が伸びて気持ちいい。続けて左足も同じように。高校を卒業してもフットサルやバレーをやっていた頃は当たり前にストレッチする機会が今は自分で意識しないと存在しないのです。
起き上がるとそのまま、掃き出し窓の方に向かってあぐらをかいて座り、瞑想をはじめました。今日は石を使わずに。目を瞑ってもその向こうに陽の光があることを感じます。暗闇だけど明るくて、昨日からの出来事、それと、それから連想されて昔の出来事が自然と目の前に浮かび、そしてすぅっと流れていきました。
そのあとはパソコンを開いて公式サイトへの投稿を。昨日下書きをしておいた、10/31(土) までに交換して欲しいもの、をまとめて投稿しました。有り難いことに宮古島行きのチケットを交換してもらえて、僕は今日、宮古島へと向かうことができます。そしてそのあともまた、自分が旅人生活を続けるために必要な価値は生まれ続けていくのですね。人が生きていくこと、それは必要な価値が巡り続けることなのでしょうね。
昨日の夜に干しておいた洗濯物を取り込んでたたんで、できるところまで荷物をまとめてバックパックに詰めました。この作業をしていると出発するということを実感してきます。バックパックに入れる順番は自分の中で決まっていて、その準備通りに荷物を詰め込んでいると、まるで布団のまわりやっていたフリーマーケットが終わりを迎えたかのように、目に入る床の色の割合が増えていきました。
涼しい風も吹いて外はとてもいい天気。掃き出し窓からベランダにパソコンを持って出て、エアコンの室外機の横に置いてある木の椅子に腰掛けるとしばし、そこで文章の作成を行ってみます。昨日の夜は1日分小さくなった満月をハンモックから眺めながら過ごしてみたのです。いい感じの雰囲気だったけど、顔のすぐそばには洗剤の香りがする干し立ての洗濯物があって、それもまたよし、と日常を間近に感じながらの非日常を過ごしてみたのでした。
またひとつ、下書きをしておいた投稿を終えると部屋に戻りシャワーを浴びたのですが、先ほど投稿した内容を妙に意識してしまいます。なんせその投稿は、 COBAKEN 的 旅の作法 #7 – お風呂の入り方 – 。何となく、いやしっかりと今回の投稿に書いた内容をおさらいしながらゆっくりと、やっしーお気に入りの大きな窓がある浴室でシャワーを浴びさせてもらいました。
さっぱりとしたところで残りの荷物をまとめます。洗濯物を袋に詰めて、デイパックも詰め込んで、あとはジーンズの後ろポケットに入れる文庫本と茶色い皮の長財布。それと OLYMPUS のミラーレスカメラを残して 70L のバックパックは閉じられました。これで出かける準備は完了。あとは時間になれば外に出かけるだけです。
11 時になり、やっしーの家を出発。宮古島のあとにまた戻ってくるために鍵は預かったままで。外に出て鍵を閉めて、背中のバックパックを感じてみます。背負ったバックパックは軽めに感じました。ちなみにこれは、自分の体の状態を確認するのにちょうどいいのです、身体が疲れていると重く感じるみたいで。
やっしーのアパートを出て、アパートや戸建て住宅の間の道を通ってモノレール沿いに出ました。そしてそのまま、安里十字路の交差点へと下っていきます。空は青くていい天気。すでに汗をかきはじめていて交差点のそばにある木の日陰が愛おしく感じられるのです。そこからは国際通りに向かって北西へ。三叉路を曲がってまっすぐ進むとその先に牧志駅が。
そのまま進み牧志駅を越えると国際通りは修学旅行生がたくさんいて、特にお土産を売っているとこに集まっていました。今日は歩行者天国ではないから逃げ場がないのですが、想像以上に不規則に動く学生たちを避けながら進んでいきます。そういえばこの前逢った ゆりな が言っていたことを思い出しました。「 ここはいつも、無心で歩くんです。」わかる気がする。
桜坂中通りへと続く道との交差点を越えて、最初のアーケード、平和通りを左側に曲がると、そこにもたくさんの観光客が歩いていました。修学旅行生やアジアからの観光客。またもや人混みを抜けてパラソル通りへにある僕の憩いの場、Parasol へ。昨日も来たのだがちょうど閉店の時間で今日、宮古島に行く前に顔を出す約束をしていました。
バックパックを背負って歩いてきたのでさすがに暑く、今日はアイスコーヒーを注文。今年の夏はどんなに暑くてもホットを頼んできたから、アイスコーヒーを飲むのは今年初めてなのかも、いや飲んだかもしれないですが。店主のジャンさんと話していると、この時間にいつも登場するおやじさんがいつもより少し遅めにお店にやってきました。
ジャンさんのお店は平和通りと市場中央通りの間にある細い路地にあって、席数はスツールが6つにベンチがひとつと、とてもこぢんまりした、でも開放感のある風の通りのいいお店。そこに登場したおやじさんがホットを飲んでいるのを見て、僕はめずらしくお代わりをしてみました。
そのままお店で座って話していると、後ろの道におにぎりを売り歩いているおばさんが通りかかります。頭には大学生の娘さんからこっそり拝借してきたハロイン的なカチューシャがつけられていたのです。ジャンさんがゴーヤのおにぎりを買ったのを見て、僕も軽めの昼ごはんに高菜のおにぎりを買ってみたのですが、その時おばさんは手に持った風呂敷を開いて、中に入っているたくさんのおにぎりを見せてくれました。とってもいいと思うな、この感じ。
そのままお店でおにぎりを食べさせてもらって、今度は同年代のお兄さんとジャンさんと3人で話をさせてもらいました。映画がとても好きな人、いや映画館がとても好きな人で、今朝も桜坂劇場で映画を観てきたらしいです。このお兄さんもそうなのだけど、最近まっすぐ音を出す人に出逢える機会が増えたと思います。そんな音の出し方をする人が僕は好きだし、話していてうれしくなるのです。もしかしたら僕も、以前に比べてまっすぐ音を出せるようになったのかもしれないな。
ジャンさんのお店を旅立って、また国際通りの修学旅行生の人混みを抜けながら歩いていると、黒糖屋のお兄さんがお店から出てきました。配達のあとなのですかね。このお兄さんとは前回の3月に那覇に来た時に知り合って、その後すぐの再会、そして今回は何度も道端ですれ違っていて、なんだかとってもご縁を感じます。それにこうして、旅先の街の道端で挨拶する人がひとり、またひとりと増えていくことで、僕はその街への思い入れが深くなっていくみたい。
そんな国際通りを抜けて、県庁前駅からモノレールに乗って那覇空港へと向かいました。モノレールは2両編成で、なぜか前側の車両にばかり人が並んでいたので、乗り込む直前に後ろ側の車両に駆け込みました。僕は大きなバックパックを背負っているので、人がたくさんいるエリアは気を使うし、動きにくくて好きではないのです。だから少しでも密度の低いエリアを選ぶために動くのなんていとわない、なんて言っても、今回は後ろの車両に行っただけなので大げさな話なのですが。
モノレールを降りて、混雑しているエスカレーターを避けて階段に向かっていると、こっちの友人にばったり再会。同じ車両に乗っていたみたいです。またまたご縁を感じながら空港に向かって歩いていきながら思ったことがあります。いつもなら2度目の那覇空港は別のエリアに移動する時なのだけど、今回は同じ沖縄県内への移動。瀬戸内海とは違う、沖縄の離島という感覚が不思議に感じます。やはり僕の基準は広島の竹原という小さな町みたい。
今回は ANA の飛行機で、すでにネット上でチェックインを済ませていたからそのまま手荷物を預ける準備をして X線検査装置の前へ。手荷物のカウンターには全然人がいなくて、そのまますんなりカウンターの前へと進みました。荷物を計量器に載せていつも通りのやりとりをしていると、この前のことを思い出します。今回も外にぶら下げているバックパックのカッパを外せと言われるのでしょうか。
「 これ、いつもこのままにしているので、ビニールとかかけなくて大丈夫です。」
若干緊張しながらカウンターのお姉さんに伝えると、今回は「 宮古島までのお荷物1点、お預かりします。」と笑顔で手荷物の番号控えを渡してくれました。よし、今回はうまくいった。というか、過去の経験上、誓約書を書いたのはこの前の1回のみで、いつもこんなやりとりで済んできたのです。
今日の手荷物検査はめずらしくデイパックを再度、X線に通していました。何か怪しそうなモノが見えたのでしょうか。そしてモノレールに乗っている途中に連絡があった搭乗口へと向かいます。今回はバスでの搭乗らしいです。ひさしぶり。
14:40 発宮古島行きの便は、この時間でも満席みたい。いつもはうしろ側の席をとるのですが、前日に予約したこともあって前から8列目。うしろの席からバスに乗り込んでいったので、僕は3台目のバスで飛行機へと向かいました。飛行機に向かう途中、バスは国際線ターミナルの方へ。2年前の7月、 だいき とここから韓国へと旅立ったのがとてもなつかしいです。
3人掛けの真ん中、これも普段は取らない席で、若干肩をすぼめながらフライとモードにした iPhone で文章の下書きをはじめました。たまにこうして携帯で行う文章の作成作業が新鮮だったりするのですが、飛行機が離陸して水平になりかけた頃には集中する力を失って、携帯をポケットに収めるとすぐに目を閉じて、背もたれにもたれかかってみたのです。
ひと眠りしているとベルト着用サインが消えて、その音で目を覚ましました。窓の外はうっすらと見える青い海なのか空なのかわからない、そんな景色。僕は背もたれから少し身体を起こして、座席のポケットに入れておいた「 銀河鉄道の夜 ( 宮沢賢治 著 ) 」を手に取りました。そして短編をひとつ。今日読んだのは、「 ひのきとひなげし 」というお話。
その話を読み終える頃にはもう飛行機は着陸体勢に入っていて、僕は再び本をポケットに戻して、iPhone を取り出し文章を書きはじめました。そうしていると窓の外の色が変わって。宮古島の砂浜の色、海の色、緑の色、土の色、建物の色、道路の色、それらが並ぶ景色を上空から眺めていると、飛行機は宮古空港に着陸していきました。
なかなか激しい着陸でしたね。風が強かったのでしょうか。着陸して減速した飛行機は滑走路を走って第6ターミナルへと向かいます。iPhone のフライトモードを解除すると、何件かのメッセージが届いていました。そのメッセージに返信していると飛行機はターミナルに到着です。
ベルト着用サインが消灯したのと同時に機内の多くの人は動き始めるのだけど、この忙しなさが嫌でいつもうしろの窓側の席を選ぶようにしています。どうぜ荷物が出てくるまで待つのに、なぜこんなに急いで飛行機を降りようとするのだろう。そんなに飛行機から早く降りたいのでしょうか。
初めての宮古空港を歩きました。なんとなく緩さを感じさせてくれるこういうローカルな空港が好きだったりします。そんな宮古空港を歩いていると、のんびり過ごそう、と思いました。沖縄に来て初めての離島、初めての宮古島。特に何をしにきたわけではないので、のんびり過ごしながら作業を進めていきましょう。
荷物を受けとり、到着ロビーに出てすぐ右手にあるカウンターで、市役所方面行きのバスのことを訊いてみました。どうやら次の便まで1時間弱らしいです。なので、バスを待ってみることにします。まずはバス停の位置だけ確認おこうと、その方向に向かって歩いてみたのですが、なぜか見当たらず。
おかしいと思って戻ってみると、空港から出て正面にあるタクシー乗り場の左手にバス乗り場がありました。さっき歩いていた時、そこには送迎に来た自家用車がたくさん停まっていて、見事な思い込みから、そこではない、と判断したみたい。場所もわかったことだし、到着ロビーに戻って、ベンチに座りながらしばし、のんびりとした時間を過ごしてみました。
バスの時間の少し前に、早めにバス停に向かってみました。すぐ近くに腰掛けてバスを待っていたのですが、タクシーかレンタカーなどの送迎に乗り込む旅行者ばかりで、バス停の前には僕ひとり。何となく不安な気持ちもあったので、時間になる3分くらい前にはバス停の横に立って、バスの到着を待ちました。
時間になった頃にひとりのおばさんがバス停近くに。きっと僕は、このおばあさんがバス停付近に立っていてくれたことで、バスが時間になっても来ない不安から少し救われていたんだと思います。おばあさんがいてくれたから、だから僕は静かに待つことができました。
そしてバスがやってきて。僕はバスに乗り込むと、おばあさんはバスを待っていたのではなかったようで、そのままお迎えの車を待っていました。今のうちに、と思ってゲストハウスの地図を運転手さんに見せて、降りるバス停を確認。市役所前が一番近いということで安心して席に座ると、貸し切りとなったバスは僕を乗せて走りはじめました。
宮古空港から平良港に向かってバスは走り、その途中で宮古の中心街の町並みを眺め、何となくの雰囲気を味わっていました。ここのバスは特にアナウンスもなく、バスの前側にある料金表示も無く、人と関わる必要がある感じがいいと思います。
小銭が無かったから千円札を両替しようにも両替の機械はガムテープで閉じられていて、市役所前に停車した時にそのまま、運転手さんに手渡すとおつりをくれて、僕を降ろしたバスはまた走っていきました。
そこからは、市役所の北西側にある最寄りの交差点を右に曲がり、スーパー仲宗根のある交差点を左へ曲がると、今日からお世話になるゲストハウス ひららや があります。一旦行き過ぎてまわりを眺めて、ひららやと外壁に中抜きで塗装されたシンボルの写真を撮っていると、オーナーさんらしき人が玄関に現れて、声をかけてくれました。
中に入って靴を脱いで上がると、まずは畳の部屋が出迎えてくれました。その右手には 20 畳という大きな部屋6つほどの造り付けの2段ベッドがあるドミトリールーム。僕は案内されたベッドにバックパックをおろすと、先ほどの畳の部屋でチェックイン。
今はシーズンオフに入っているので今夜は僕ともうひとりだけ。その方は個室だそうで、僕はここの広いドミトリーを独占できるらしいです。宮古島のことを教えてもらい、ゲストハウス内の案内を終え、宿代を支払ったあとは、そのままオーナーの ひろさん といろいろと話ししながら過ごしてみました。
ゲストハウスに着いてすぐ、こんな流れは今までで初めて。ひろさん の家に遊びにきた、そんな感覚です。ひろさん もまた、まっすぐ音を出す方で、僕はなんだかうれしくなりました。海外に住んでいたという話に、旅をしていたという話、10 年続けているゲストハウスでの話、それに僕の話など、色んな話をしました。
そしてそのまま、もうひとりの宿泊者である はなちゃん の作った晩ご飯を一緒にいただいて、そのまま話しながら夜を過ごして。食後もそのままいろいろと。宮古島に到着してから、空港からバスで近くまで来て、そして少し歩いてこのひららやへ。こうやって ひろさん と はなちゃん と話していると、宮古島っていいところだな、って感じて。やはり人なんだと思う、町への愛着とかって。
長らく話したあとに ひろさん はご自宅へ。僕はそのまま畳の部屋でのんびりゆったり、涼しめの夜を kencoba の音を聴きながら、パソコンのキーボードをゆっくりと叩きながら過ごしました。機内で下書きをしていたから、意外に早く作業は終了。明日の投稿へのある程度の準備ができたところで、パソコンを閉じて裏口から外に出てみました。
外に出ると残念ながら星は出てなくて、ここから見る星はキレイだろうな、って思ってたから、今日は曇ってて残念。部屋に戻って畳の上に横になっていると、気持ちよくて夢の世界に行ってしまいそうだったから、だから寝床を整えて横になりました。なんとなんと、12 時になる少し前に。とっても健康的な、人に自慢したくなるような時間でした。
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沖縄県那覇市
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2015/11/03~2015/11/04
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最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile