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– 二十四節気のひとりごと –
4/4(月) 、僕は大阪府三島郡で清明を迎えました。
その日は何となく、京都の八坂神社にお参りに行こうと思い、「 他にもお邪魔した方がいいところはありませんか?」と瞑想の先生にお伺いしてみたところ、東寺の立体曼荼羅のことを教えていただいて。お逢いしてみるとただただ圧巻、とにかくそんな印象が自分の中に残っています。その日のことは下記の投稿に書いてありますのでよかったら読んでみてください。
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道が見える。【旅LOG 2016.04.04】
ということで、二十四節気の晩春、清明のひとりごと、をお届けします。
今回の清明を迎える直前、僕はまた自分の怖れをひとつ手放すことができました。何の怖れだったかと言うと、大切な人が自分の目の前からいなくなってしまう、という怖れです。おかげさまでまた1キロ痩せたみたいで、64~65 キロくらいになりました。
この3年半の旅する生活の中でのピークが 78 キロだったので、14 キロほど減ったことになりますね。もうこれくらいでいいかな、体重が減るのは。バックパックを背負って歩きにくくなりそうなので。こんなことを書いていると「 ちゃんと食べてないんじゃないの? 」なんて心配されそうですが、安心してください。必要な分だけ、毎日ちゃんと食べながら過ごしています。
手放したことに関しては下記の投稿に書いてありますので、そちらをご覧くださいませ。
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続、すべては自分の心次第。
おかげさまで4月初めに大阪を旅立ち、北海道、青森、秋田、岩手と JAPAN TOUR が進んでいます。先に書いた通り、自分にとっての大きな怖れを手放したことでとても心穏やかに過ごすことができているのですがその反面、本来の自分に戻るための出来事もまだまだ続いています。自分の執着に向き合いながら旅する生活はこれからも続いていく、ということです。
どうやら人に限らず、すべての存在同士はエネルギーを循環させながら生きているようなのです。どうやって巡らせているのかは全くわかりませんが、3年半ほど旅する生活を続けてきた結果、そんな確信が自分の中にあります。そんな関係性を人と人は持っているので、怖れとか何らかの原因でエネルギー循環を滞らせる人と関わった後、とても自分が疲れているということに気がつきました。
出入口、という言葉の通り、何かを入れるためには基本として出すことを先に行う必要があるのですが、何かわからないけど足りない、といった不確かな不足感で自分を充たしている人は、まず欲しい欲しい、と自分でもわからない何かを補填しようとしてエネルギーを巡らせないように滞らせるのではないのか、結果そんな仮説が出来上がりました。
何となくですが、相手にエネルギーを渡して相手の中のエネルギーを押し出すことにエネルギーを使う感覚があるのです。それが関わった後にとても疲れる原因なのではないかなと。不足を補おうとまず巡りを停め、相手のエネルギーを受けとり自分を充たそうとしているのでしょうか。
それは実質、認識上の問題であって、エネルギー循環自体は自然と起こっているようなのです。だから僕自身もエネルギーを押し出すようなことはせず、大丈夫、という安心感を与えることに徹することをただただ行う必要があるのだと気づけました。エネルギーを押し出すこと自体が正しさの押し付けと同じことになるのではないかなと感じまして。
なので今月の気づきでありテーマである、見守ること、それを本当の意味で行うことができればきっと、エネルギーの巡りを感じながら穏やかに接することができるはずです。安心感、それを生み出すこと、そんな感覚になってもらうことが、これから先に自分が意識して行っていく必要のあることだと思います。
こんな気づきを得ながら僕は毎日を過ごさせてもらっているのですが、今回の一連の気づきを得るための出来事が、今の時代を象徴する出来事だな、と僕は思いました。
お金の巡りの悪さ、まわりから認められない自分、埋めても埋めても埋まらない空っぽの自分、そんな姿が見えてきます。すべてが外側に求められていて、お金を手にすること、人から一目置かれること、それらで自分の不足分を埋められると思ってしまうのかもしれません。
そのような外側のもので自分を埋めようとしても埋まることはない、ということに自分自身で気がつくまで、エネルギーを滞らせるその行為は続く可能性が高いです。何故そう思うのかと言うと、こんなことを言っている僕自身がそうだったので。そうです、自分の体験談ですし、まだそれはふとした時に表れることがあります。
旅する生活を始める前の自分を今の視点からふり返ると、自分で絶望する出来事を生み出すことに必死だったように思います。実際に大きく絶望してからまたあらためて自尊心を持って立ち上がり、今こうして旅する生活を続けながら研究を続けています。
そんな過程を経て大きな痛みを感じないと人は学ぶことはできないのでしょうか。
エネルギーを外に出すことができない、その感覚はとても苦しいものだと思います。実際は自分の意志に関係なく自然とエネルギー循環しているはずなのに。でも自分で自分を詰まらせている感覚が無意識にあるのでしょう。足りない足りない、とそんなことを自分に言い続ける毎日はとても苦しくて、しかも出口も見えそうで見えなくて。
先にも書きましたが、出入口、という言葉の通り、何かを入れるためには基本として出すことを先に行う必要があるのだと思っています。怖くて怖くて仕方ない、その気持ちを抱えながらも1歩を踏み出すこと、そうすれば空気も音も感覚もいろんな変化を感じることができることをきっとみんな知っているはずなのですが、なかなか難しいようで。
これは勇気があるかないかの話なのですが、自分がやるべきこととわかっていることをやること、それが勇気がある、ということだととある映画で観たことがあります。反対に勇気がないのは、自分がやるべきこととわかっていながらやらないこと、です。なんてシンプルなのでしょう。
だから、見えてないことはいいのです。自分がやる必要がある、と自分で思っていることをやるだけ、ただそれだけのことです。そうやって1歩を踏み出せば、自然と自分のまわりに感じる世界の変化を感じずにはいられないはずです。もしかしたら怖くてモノクロになっていた世界がいきなりカラーに戻るような、そんな変化が起きるのかもしれません。
多くの人が大切な自分を守りながら、それを失うという幻想に怖れを抱き、前に進むのも、エネルギーを巡らすことも滞らせています。でもそれは認識の問題であって、実際は前に向かって歩いているし、エネルギーも循環しているのです。変わらないものなんてないのに、変わったことを認めようとしない、自分の変化に目を向けていないだけのことなのです。
多くの人が守っている大切な自分が欲していること、それが自分の人生を歩むことなのに、それを押しとどめるなんて一体何をしているのでしょうね。しあわせに過ごしたいはずの自分が怖れから、しあわせに生きようとする自分を押さえつける、人間とはほんと矛盾した生き物です。
清明のひとりごと【その2】へ続く
[ 二十四節気 ]
清明 ( せいめい ) 4/4頃〜
春の暖かな陽射しの中、まさに天地万物が清らかな明るさに輝いている様を表す言葉。中国では古くからこの清明節の時期に、先祖の墓参や、「 踏青 ( とうせい ) 」といって野に出て春の緑を満喫するなどの行事が行われました。
参照 うつくしいくらしかた研究所
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1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
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