– いま、ここにあるもの。ここにある想い。-
「 暮らしの中にある、なんでもない日常 」、それが今の僕のテーマであり、日々の活動を通じて切り取ったり、掘り下げたりしているものです。今回は、そのテーマについて、僕の想いを言葉にします。
僕にとって「 暮らしの中にある、なんでもない日常 」とは、ハレの日ケの日の、ケの日。まったく特別ではない時間のことで、僕らが生きる中でのいつもの時間のこと。生きていく中で必要なことを繰り返す時間であり、生きることそのものであり。それをつい僕は、当たり前にあるものだと勘違いしてしまいます。けれども、いつもの時間は当たり前ではありませんでした。
朝目覚めることだったり、家族に挨拶できることだったり。水道から水が出ることだったり、コンセントを挿せば電気が使えることだったり。そんな有り難いことや、小さな奇跡がたくさん集まって僕らの毎日はできていて、同じ出来事、同じ時間は存在しません。そのいつもの時間の中に、僕らが生きていく中での大切なことが、たくさん詰まっているのだと考えています。
それもあって僕は、毎日繰り返し行えること、行われていることにとても興味があります。僕自身がこれまでの人生の中で、大切にしてこなかったからこそ余計にそう思うのかもしれません。逆に、贅沢だとか、特別だとか、いわゆる非日常のものには、ほとんど興味がありません。それなので僕の旅は、端から見ていると、とても質素に見えるのではないでしょうか。
そんなテーマを掲げているからこそ、自分がいる場所の、まちの人のいつもの時間に興味があります。それもあって散歩が好きで、ゆっくりと歩きながらまちの音を聴き、まちの風を感じて、まちの雰囲気を味わう時間が、僕にとってはとても大切な時間です。そして、そんな時間の中で、言葉になっていないメッセージを受け取るのがとても好きです。
そうやって、暮らしの中にある日常を見て感じて、その瞬間を自分なりに切り取りながら、9年ちょっとの旅する暮らしを続けてきました。それなので、雑誌や旅本に載っているような観光地に行くことも、観光名物を食べたり買ったりすることはほとんどありません。写真も、絶景や非日常の映えるものではなく、なんでもない日常の瞬間を切り取るのが好きだったりします。
ただ、その旅先の観光名所が、まちの人が普段から行く場所ならば興味があるし、その旅先の観光名物が、まちの人が普段から食べたり使ったりするものならば興味があります。そんな調子で、家族で過ごす何でもない時間だったり、毎日変わらない朝ごはんだったり、商店街の雑踏だったり、まちの人が大好きな肉屋さんのコロッケだったり。そんなものにとても興味があるのです。
逆に、旅先で食したいと思うのは、地元で収穫した米を、地元の水で炊いたごはんと、地元の味噌や野菜や油揚げで作った味噌汁です。僕はその組み合わせに、ものすごく幸せを感じます。育った水で炊かれた米など、その町で取れた食材をその町で料理し、現地で食べること、それが僕が旅する暮らしの中での、贅沢なことのひとつです。
あと、日本酒は地元の蔵の、スタンダードな純米酒を選びます。吟醸酒は飲む機会があれば飲むくらいで。そして、酢の物や煮物など、地元の人からすれば何でもないおかずを肴にして、その地元の純米酒をくいっと飲むのが、僕にとって最高の時間です。ちなみに、純米酒のように、自分が選べる中でできる限り、毎日のものでありながら、昔ながらの想いや、つくり方を活かしたものを選ぶようにしています。
もちろん、ハレの日も好きです。例えば、祭りもたのしいものです。ただ、いつからなのかはっきり覚えていませんが、人が多い場所に行くと激しく疲れてしまう自分に気づいた頃から余計に、人混みは避けるようになりました。そして同じ頃に、暮らしの中にある日常に僕の目がいくようになりました。そうやって出来事や状況に導いてもらったのだと思います。
それと、家づくりの仕事をしていた頃、家はあくまでステージであって、住んでいる人の心次第なんだな、と痛感することがありました。それが僕にとって、” 家づくり ” から ” 暮らし ” に目がいくきっかけでした。家づくりは、居心地のよさでサポートはできるけれど、そこで終わると僕自身の今世での役割から目を逸らしている気がして。
結局は人の在り方がすべてであり、それによって生まれる生き方を実践しながら、人は暮らしていくのだと考えています。それが暮らしの中にある日常を彩りを支えてくれて、毎日をよりよくしてくれて。そうやって人は自分を生き、本当の自分に向かって表現をし続けていくのだと思います。そんな僕らは常に充たされていて、想いを巡らせながら生きていく世界に身を置いているということを忘れてしまいがちで。
例えば、足るを知る、という状態は、心が整っている状態だと思うのです。あるものに目を向けることができるのは、心が穏やかで、欲求や執着に囚われていない時だと思うので。我慢とか自分で自分を抑圧したものではなく、充たされている、ということを自分自身で実感し、自分以外の存在と協力し合い、エネルギーを巡らせながら生きること、それが僕らが目指すべき世界だと思うのです。
思い返せば、そんな世界に向かうために、旅や対話を通じて、ズレた欲求を元に戻し、思い込みや執着を手放すことを、旅する暮らしの中で繰り返し取り組み、探求を続けてきました。本来の自分に戻ることは、本当の自分に向かうための基礎となる部分だと考えているので。それなので、自分でそれらに向かい合う事をしなくても、期限が迫れば勝手に目を向けることになります。ただし、それには痛みを伴うことが多いようですが。
それ以前に、ズレた欲求や思い込みや執着などは必要なものである、ということを知る必要があるのだと思います。必要悪とまでは言いませんが、ズレていることで体験できることもあるし、思い込みや執着があることで体験できることがあるので。つまり、必要な体験をするためのズレであり、心の囚われであるということです。必要な体験さえ終えればいくらでも、自分次第で手放すことができるものです。
そうやって僕ら人間は、体験から学ぶ生き物です。そして、違いから理解を深める生き物です。体験することと違いを受け取ることは、学ぶためには必要不可欠な要素。これらも忘れてしまいがちでしたが、僕は幸い、それらを旅する暮らしの中で繰り返し体験し、身にしみるほど学ぶ機会をもらうことができました。
それが本来の意味での、働く、ということなのだと思っています。僕らの身体がいつも動き続けてくれているように、僕らがこの世界の一員としての役割を果たすことです。僕ら一個体としてはとても小さな存在で、明日いなくなっても世界は変わらず回り続けます。でも、今この瞬間の世界の均衡の中にいる、欠かせない存在でもあります。
そんなことを僕は、自分が旅する暮らしを重ねる中で学ばせてもらいました。それはこの先も変わらずで、現場で学び続けていきます。ただ、アカデミックな環境に身を置いている人との連携も必要な部分も出てくるのだと思ってもいます。対極を同居させること、それが今のスタンダードだし、その方が耳を傾けてくれる人が多い、ということは未だ変わらない事実です。
どちらにしても、これまでも、これからも、ケの日をよりよいものにしながら人は、ハレの日をより晴れやかに過ごすのだと思います。そのためのケの日であり、暮らしの中の日常です。そんな日常の中を、心踊りながらも穏やかに、等身大の自分で過ごしていけることは、とても幸せなことだと思うのです。そしてハレの日をより晴れやかに過ごして。
僕らが生きる今の時代には、ケの日をよりよく過ごすことが必要なのだと思います。それは、ハレの日をよりよくするためにも、です。ハレの日だけを大切にしても、本当の意味で晴れやかな日を過ごすことはできません。ケの日あってのハレの日だし、ハレの日あってのケの日なので。
だからこそ、何でもない時間を大切に、です。つい、当たり前だと勘違いしてしまうけれど、出来事や状況や環境、人や自分などすべての存在に対して心から感謝です。おかげさまでまた、こんな風に自分の想いを言葉にすることができました。それに、こうして幸せに生きています。いつもありがとうございます。
そうやって有り難いことに感謝しながら生きていくことをこの先も続けていきます。そしてこの先も、暮らしの中にある日常、をテーマに胸を張って活動を続けていきます。
おわり
” この「 いま、ここにあるもの 」では、小林豊の独り言をつらつらと書き記しています。この投稿をする1番の理由は自分自身が思い出す為なのですが、それが巡り巡ってたまたま、この独り言を必要としていた人の元に届くのも嬉しいです。そんな小さな奇跡も信頼しつつ、自分の内側にある想いを言葉にしています。”
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最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
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COBAKEN LIFESTYELE LABO
1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile