– 旅先からの、友への便り。-
– その日が来るまで、もう少しだけ。-
秋分 二〇二四年九月二十二日〜十月七日
九月の始めに盛岡に戻った頃は気温も低く、秋というか冬だなぁと思っていました。けれども今は気温が高い日が続いていて。秋寄りの夏を味わっている感じです。そう思っていてもすぐ、コタツやストーブを出すことになるのでしょうね。近年は秋の時間が少なくて寂しいです。晴れた日に長袖シャツにサンダルで出かけて、公園や水辺でぼーっとしながらビールを呑む、そんな気候が僕は一番好きなので。
そんな盛岡での日々の中で先日、朝にごみを捨てに行く流れで、道路脇にある穂を垂らした稲穂が目に留まりました。命を紡いでくれるものを育んでいる場所の側で生きるのがいいな、とふと思えて。目の前に見える空が広くて、五行が揃っている場所で。今の自分には都会での生活は合っていないようです。人が暮らしている姿をたくさん見かけられるし、情報や刺激は多いのですが、息苦しくなるというか。
都会で自分の周波数を高く保つには、今の僕の力量では足りないようです。人が多い分、色んな感情が集うし、何にでもお金が必要だし。騒がしいけれど音が響かなくて、どこか無機質で。もちろん、そうじゃない部分もたくさんあります。そんな中で自分自身を保てるよう努める、という選択肢もありますが、自分としては命を紡ぐものが育まれている場所の近くで、マイペースに過ごしていたいです。
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マイペースといえば、ここ最近は気持ちよく瞑想ができていて。そんな中での先日の瞑想中、第七チャクラが塞がっているのかも、と思えた日がありました。以後、景色が少し明るくなって。そういえば、十二年前にもそんなことがありました。その時は、瞑想の先生に叱ってもらって。自分の色を大切に生きていく必要があるのに、いつの間にか染まってしまっていたようです。それは互いにとってよくないこと。
知らぬ間に、繰り返していたのかもしれません。この出来事は結果的に、僕が十年後に迎える次の収穫の時期に向けての、佳き学びとなりそうです。高い周波数でいい波を出しながら、自分の色を大切にしつつ流れに乗ること。人の色に染まり状況に流されるのとは違う、ということです。この先、より個の時代になっていくのであれば尚更、そんな自分で日々を過ごせる方が生きやすいのでしょうね。
そういえば、旅する暮らしを始める前に、自分は人や地元に縛られている、って思っていました。もしかしたら、その時もそうだったのかもしれません。単純に言えば、他人軸で生きていた、ということでしょうか。それもまた体験なので、今となっては佳き学びです。ある時気づけたのですが、縛ってもらっていたおかげで、最適なタイミングで旅する暮らしを始めることができたと、今では思えます。
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自分としてはこの先も、移動しながらの暮らしを続けたいと思えています。しんどい気持ちもまだ、どこかにあるのですが。実は今、人に接するのが怖い感覚が戻ってきていて。十四年前のそれに比べれば、微々たるものではありますが。それもあって、旅に出るのが億劫な自分もいるのです。多分ですが、この感覚は日にち薬によって治っていくのだと思っています。それまでは、少し静かに過ごします。
ちなみに、今の自分が望む旅の仕方はバンライフです。車中泊を主体にして下道を進み、大きく寄り道をしながら竹原と盛岡を行き来して。そんな移動の中で、自分が応援したいと思える人を勝手に応援して、少しでも目の前の相手や自分の人生を促して。自分が手にしたいものは人から贈ってもらい、結果的に自分が得たお金や資源は物や機会に変えて、また自分の周りへと巡らせて。
この荷物運ぶよ、洗い物は任せて、このビール呑んでね、玄米を送るよ、よかったら野菜どうぞ、この服似合いそう、この本好きそう、大きめの鍋が欲しいって言っていたね、ガラホが欲しいって書いてあったよね、ガソリン入れに行こう、この灯油使って、今月の携帯代払うよ、実はうちに乗っていないボンゴバンがあるよ、などなど、ご縁や関係性で支え合う、そんな循環の中で生きていきたいです。
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話は変わりますが、色んな品種が育っている畝の豊かさについて、自然農をやっている友人から聴く機会がありました。相性はあるようですが、自然本来の姿であることで育まれる世界があるようです。そして音楽が、生きるために必要だったこと、また別の人からは、暮らしの道具を作り続けることで戻ってきた生きる力のことを聴きました。そんな、表現者たちの素朴な想いに触れる機会がありました。
自分は今のところ、芸術家ではないけれど、表現者であることは確かなのです。雑多で自然な世界。自分の内側から生まれる音。触れること、手を動かすことで蘇る感覚。自分にとってのそれは、家を造ることだったのかもしれません。しかも、昔ながらの工法で家を造る時の、紡がれてきた何かに触れている瞬間に自分自身にも触れて。木を活かしつつ刻み、金槌をふり、土を混ぜ、のみや鉋を研いで。
そういえば、現場に集中できる環境があれば現場にいた、と思っていた頃もありました。それを望むのであれば、自らその環境を整えればよかっただけのことだと今では思えます。人や環境のせいにして、目を逸らしてきた自分自身の想いなのでしょうね。そんな想いも改めて、拾い上げることができるといいなと思います。自分の内側から生まれてくる何かをカタチにして、自分自身を表してみたい自分がいます。
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そろそろ今回の手紙を終えようと思うのですが、いつも通り、取り留めのない話になってしまいました。それほどに色んな出来事を味わいながら、豊な日々を過ごしている証なのかもしれません。頭の中ではいつも思考が巡り続けているので、そのせいなのかも知れませんが。ただ、最適なタイミングで、最適な出来事が訪れるのは確かなのだと思います。ご縁も同じく、最適なタイミングで最適なご縁が訪れて。
そんなことを書いていると、懐かしいことを思い出しました。それは、僕がファシリテーションを学び始めた頃に出逢った、オープンスペーステクノロジーの4つの原理です。ここにやって来た人は誰でも適任者である。何が起ころうと、起こるべきことが起こる。それがいつ始まろうと、始まった時が最適な時である。それが終わった時が本当に終わりなのである。これが僕の、ファシリテーションの基本です。
そんな風にご縁や出来事に導かれながら、僕らは生きているのだと思うのです。年を重ねれば重ねるほど、強く明確にそう思えます。けれども相変わらず、自分がどこに向かっているかはわかりません。とにかく自分としては、胸を張ってこの世を去れるといいなと思っています。そんな終わりに向けての愉しい日々をこの先も。今は少し静かにしていますが。その日が来るまで、もう少しだけ。
おわり
” 「 旅の途中の 」では、旅先から届ける友人への便り、として言葉を綴っています。二十四節気の暦に沿ってお届けできたらと。僕の、旅する暮らしの中で起きる些細な出来事を通じて、ほっとひと息ついてもらえたら幸いです。”
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これまでもこれからも
心がおどる、たのしい日々を。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
– 自分らしく、しあわせに生きること –
COBAKEN LIFESTYELE LABO
1977年、広島生まれ。ファシリテーター。広島県竹原市と岩手県盛岡市の二拠点生活+旅。スキナコトヲ スキナトキニ スキナトコロデ、とういう生き方。ファシリテーターとして促すのは、目の前の相手の人生。
詳しいプロフィール ⇒ cobaken.net/profile