大雪のひとりごと。【二十四節気のひとりごと】




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12/7(月)、僕は盛岡で大雪 ( たいせつ ) を迎えました。週末の冷え込みで今シーズン1番の冬を実感したあとの、陽射しがぽかぽかと気持ちの良い日でした。

その日はいろいろと車で連れて行ってもらったのですが、窓際で珈琲を飲んでいると、陽射しが暑くて仕方なかったことがとても印象に残っています。雪国の建物は気密性が良いから、余計そう感じるのかもしれませんね。

ということで、二十四節気の仲冬、大雪のひとりごと、をお届けします。


和室からの雪景色


僕が言葉にする、地域教育、という言葉は、まずは大人に対してのもの、ということがよくわかりました。


僕のまわりには相変わらず、若い世代に対して学びの場をつくる仲間がたくさんいます。幼児、小学生、中学生、高校生、大学生。学校や塾の先生であったり、大学の教授であったり、NPO や地域の団体として活動している人たちなど、若い世代に対して学びの場をつくる仲間がたくさんいるのです。だから僕は、大人に対しての場をつくろう、と思い、大人に対してのダイアログの場をつくることを続けてきました。

ちなみに、僕の勝手な考え方ですが、15 才という節目で子供から大人扱いにする、ひとりの人間として対等に接する、ということが大事なのではないか、と考えています。昔の元服をもとにした考え方ではありますが、特に高校以後、自分で考え、自分で責任を持って行動すること、それができる環境が必要だと思っています。その環境をつくるのは大人と呼ばれる私たちで、私たちの器が広がらないかぎり、そんな環境は生まれてこないのかもしれません。


僕はこの1年、若い世代に対しての学びの場にも関わらせてもらいました。ほんの少しではありますが。正直、直接的に関わりたい気持ちもあります、地元でサッカーやフットサルのコーチをしていた頃のように。その反面、当時感じていた限界を広げることも必要だと思います。その限界とは、先に書いた、大人と呼ばれる人たちの器、です。自分も含めて、この器が広がらないかぎり、保護される側が自分で責任を持って自由に選択する、ということに限りがあるでしょうね。

とはいっても、大人と呼ばれる人たちも大変なんです、生きていくために、毎日を過ごしていくために。人目は気になるし、がんばってもがんばってもまた問題は起こるし、理不尽に責められるし。そんな心境で毎日を過ごしているのでは、若い世代がどうこうの前に、自分のことで精一杯になってしまうでしょう。


だからまずは、大人と呼ばれる人たちが自分に OK を出せる環境、心に余裕を持てる環境をつくることが、僕の想う地域教育で最初に取り組みたいこと、いや、今すでに取り組んでいることです。自分で自分を承認できる環境、それを整えていきながら、地域が子供を育て、地域がお年寄りを送り出す、そんな環境を目指していきたいのです。

そんな未来に向けてまずは、大人と呼ばれる人たちが自分に OK を出せる場をつくることをもっと精力的に、でも無理はせずに、仲間と協力しながら行っていきたいです。そして、自分がどう生きるのか、自分にとってのしあわせとは何なのか、それらを言葉にできる場をつくることにつなげていきます。そして、それらを実践していける環境をつくっていきます。ざっくり言うとこんな感じですかね。


そんなことを行うのに必要不可欠な要素がダイアログだと私は思っています。何か新しいことを始めるのではなく、まずは今あるものにダイアログを加えること、それが今、僕が考えている地域教育の基本です。ダイアログが日常に加わるだけで、全然違う毎日が、イノベーションにあふれる毎日が生まれる確信が今はあります。

ダイアログをしていく中で、個人個人が持つ、問い、を明確にしていくのですが、問い、は、自分の在りたい姿を示すもの、だと私は思っています。そんな、問い、を言葉にできれば、何を話していても、むしろ、課題から離れて話している方が、解決のためのヒントに気づきやすくなるのです。


夜空の雪


僕には今年、中3と小6の離れて暮らしている息子がいます。その同年代の子たちと接していると、彼らの年代が持っている感受性の高さに驚くことが多々在りました。例えば、中3の彼らが 25 年後には 40 才になり、世の中の中心になっていくのですが、その 25 年後には僕らではなく彼らの感性が世の中心になっていることになります。

今の世の中と彼らの世の中ではベースにしているものが違っているので、それだけでも違う世界が生まれそうです。それに、今では想像もつかないテクノロジーが世界に存在していることを加えると、頭で考えてもどうにもならない、未知の世界が待っているのだと思っています。これからますます、時代は変わっていく、ということだけはハッキリしている、ということにもなりますね。

そこに向かう過程で、今の若い世代の多くが持つ仮面をはずす日がやってくるのでしょう。そして対極に、彼らの個性を受け入れることができる社会、も存在しているのでしょう。それが革命的に起こるのか、人々が自分たちを見つめ合いながら起きていくのか、はたまた他の流れで起こるのか、それはこれからの私たち大人と呼ばれる人たちがどう在るか、そこにかかっていると僕は考えています。


ここ数年でよく耳にするダイバシティとは多様性であり、多様な社会に僕たちは生きています。何が多様なのかというと、それは、目的を達成するための手段が多様化した、そう僕は思っています。自己表現や人生の目的を達成するための手段が、ここ数年で激増したのです。

そんな今はアーティストの時代に突入しているので、すべての人が自分を表現する時代になりました。芸術家だけでなく、僕たちも表現者として生きていくことになります。そんな、自分を表現する世界は、今も今までもこれからも、世界は自分ごと、として巡っていきます。


今、僕が目指している世界を表す、地域が子供を育て、地域がお年寄りを送り出す、という言葉からすれば、地域教育に加えて、地域福祉、という言葉も含まれていることにも気がつきました。結局これが今までもこれからも、僕が目を向けてきたものであり、そこに向けての実験を重ねてきたことです。

その地域教育を僕なりの別の表現で表すと、主体性、であり、地域福祉を僕なりの別の表現で表すと、公平性、という言葉に置き換えられます。僕はその言葉たちを胸に置きながら、自分の行動を選んでいるつもりです。それらを胸に、ダイアログのある暮らし、を実践すること、それも今、自分がやってく必要のあることなのだ、とも思います。




最後に、僕がこの世に持って生まれてきた役割の現時点での仮説は、種を運ぶこと、春を告げること、です。自分の勝手な解釈で言えば、種を運ぶこと、は、問いを投げかける、ということ。そして、春を告げること、は、以前との変化を相手に伝える、ということです。

それを成し遂げていく過程の旅の中で、価値と価値との交換、ということも行ってきました。これもまたひとつの僕の役割、問いを投げかけること、にどうやらつながっていたようです。さざ波一つない静かな水面に石を投げるような、そんなことをしているようです。


そんな体験を重ねることで生まれた仮説の中に、価値とは可能性、自分の在りたい姿に向かって可能性を感じるもの、が人に価値を感じさせるのではないか、というものがあります。だから、価値の感じ方も人それぞれ。十人いたら十通りの、百人いたら百通りの在りたい姿があり、価値基準が存在するのです。

そんな個性を受け入れられる器を持って、自分ひとりで抱え込まずに人に委ねられる、そんなリーダーでありたい、自分がそんなことを思っていることにも気がついてしまいました。だからこの先、また改めてコミュニティを形成していくのだな、なんてこともおぼろげながら感じている今日この頃です。




雪化粧の枝


[ 二十四節気 ]
大雪 ( たいせつ ) 12/7頃〜

山々は雪に覆われ、本格的な冬の到来が目に見えてわかる時節。

参照 クリックするとリンクに飛びます うつくしいくらしかた研究所




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